立ち読みコーナー
目次
512ページ
ジョージアナ・エラーズ
教師の娘
トーマス・ホークスレイ
大富豪の息子
フランシス・キャンベル
貴族の娘
セシリー・ダグレイ
フランシスの友人
ジェイン・ウッドリー
フランシスの友人
ジェレマイア・ラッセル
フランシスの恋人
ジョナサン・スミス
フランシスの友人
クリストファー・クローリー
フランシスの友人
ベティ・ウォルターズ
ジョージアナの叔母の親友の孫
この本をジェイン・オースティンに。
ごめんね、ジェイン。

 せめても社交的な集まりが必要だと叔母にせがんで、ようやくこのパーティーにやってきたものの、これもまた苦行の場だった。もうかれこれ一時間以上、本を持ってくればよかったと後悔しながら、このアルコーブに身を潜めている。ここは食堂から客間へと行き来する客の様子を観察し、会話を盗み聞きするにはもってこいの場所だ。でも残念ながら、パーティーの主催者であるガッドフォース夫妻の知り合いは、四十五歳以上で、なんのおもしろみもない人物に限定されているらしい。試しに二組の客の会話を盗み聞きしてみたけれど、どちらもまったく話題は同じだった。天気の話、それから食堂のカーテンの色は赤なのか紫なのか、という話題だ。そして二組とも、その議論に決着をつけるには部屋が暗すぎる。また後日、時をあらためて確認しましょうという結論に落ち着いた。
「 深紫(プラム)よ」インテリア評論家気取りの客たちが声の聞こえないところに行ってしまうと、ジョージアナはつぶやき、そばのグラスに手を伸ばした。
「まさか、赤紫(ボルドー)よ」
 あまりに近くから聞こえた声に驚いた拍子に、グラスを倒してしまった。ミセス・ガッドフォースのまずいパンチがドレスやペチコートに染み込んでいくのを感じながら、声がした方向を振り返る。
 ジョージアナが腰かけていたのは、等間隔に並んで立つギリシャ風の石柱の後ろだ。気づいていなかったけれど、もうひとり、別の石柱を同じ目的で使っていた人がいたらしい。衣擦れの音に続いて、まず現れたのは石柱の上に置かれたほっそりした手だ。ジョージアナは思わず脇により、侵入者が座れるスペースを作った。
 かすかな光の中、華奢なシルエットが浮かび上がる。浅黒い肌、高い位置にまとめられたポニーテールからこぼれた豊かな黒い巻き毛、心酔わせる花の香り。差し伸べられた美しい手を彩るゴールドと宝石の輝きに、ジョージアナは目を奪われた。
「フランシス・キャンベルよ」洗練された声だ。あっけにとられるジョージアナを前に、女性は続けた。「これって今まで招かれた中でも、とびっきりの退屈なパーティーよ。もしほんの少しでも刺激的なことが起こったら、皆、きっとショック死ね」
「ジョージアナ、ジョージアナ・エラーズです」
「あらそう。こんなパーティー、本当なら来るつもりじゃなかったの。でも来たのは、あのおぞましい“ゴッド”フォース家の人々がお父さまから絵を買ったからよ。戦利品よろしく見せびらかして、自分たちの財力と人脈の広さを示すためだけにね。あんなのとんでもない駄作なのに。お父さまは遺産として相続したあの絵が売れて、せいせいしたと思ってるわ。でも、このお屋敷にはお似合いよね。なんてったって、ほら、このとおりだもの……」フランシスは趣味の悪い石柱を手で示した。
「あの人たちの名前は“ガッド ”フォースよ」ジョージアナはそう言って、すぐになぜこんなおもしろくもない名前の話を持ち出してしまったのだろうと後悔した。
 フランシスは気にもかけていない様子だ。ふたりの間の台座に手をつき、はっとしたように、その手を上げた。
「そのドレス、いったいどうしたの?」どういうわけかジョージアナは、パンチをこぼしたことをすっかり忘れていた。フランシスの手が濡れた部分に触れたに違いない。「そのドレスが一番のお気に入りじゃないといいけど。この悪魔のパンチの犠牲者がまた増えたわね。まあ、くよくよしないでこれでも飲んで」
 フランシスが差し出したのは小さなフラスクだ。ジョージアナはどぎまぎしていたせいで中身が何かたずねるのも忘れ、それを口に運んだ。中に入っていたのは、パンチよりもはるかに強い何かだ。喉がかっと熱くなる。
「コニャックよ。強いでしょ?」むせるジョージアナを見て、フランシスは嬉しそうだ。「もっと飲んで」
 ジョージアナはその言葉に従った。
 一瞬にして、これほど強烈な印象を与える人には出会ったことがない。出会って、たぶんまだ一分もたっていないのに、早くも彼女が立ち上がって、孤独な夜にひとり取り残されてしまうことを恐れている。剣をたずさえた勇者でもなく、吹きすさぶ風の中に立つ青年貴族でもない。だが、ジョージアナにはすぐにわかった。彼女は主人公になるべき人だ。
「こんなのがパーティーだなんて、お笑い草だわ」フランシスは片手をひらひらと振ると、もう片方の手でジョージアナからコニャックのフラスクをひったくった。「まるで犬のお葬式並みの出し物と飾りつけよね。それにいったい全体、なんでこんなに暗いわけ? もう少しでドレスの裾を踏んで、つんのめって、窓ガラスを突き破って外に出ちゃうところだったわ。でも、次の瞬間思ったの、それもいいかもって。ちょうどここは一階だしね」
 ジョージアナは笑った拍子に豚みたいに鼻を鳴らして、真っ赤になった。
「ところで、あなたは誰にここへ連れてこられたの?」
「ああ」ジョージアナは咳払いをした。これまでただ黙って、うなずいていたせいで声がかすれている。「叔母夫婦よ。今は叔母夫婦の家に滞在しているの。ふたりはガッドフォース夫妻と長い付き合いみたい。いい人たちよ、つまりバートン夫妻はね」それから慌てて付け足す。「でもパーティーの趣味はどうかな。わたしも窓からの脱出を思いついていたら、きっと今頃、はるか彼方の黒い点になっていたわ。どんどんスピードを増しながら、丘を転がり落ちていってるはずよ」
 フランシスは声をあげて笑った。そしてジョージアナの空のグラスを取り上げると、そこにコニャックを注いで渡し、自分はフラスクを軽く掲げて乾杯の仕草をした。
「乾杯! わたしたちのとんでもない家族と、そして今この瞬間、わたしたちが参加し損ねている、これよりはるかにましなたくさんのパーティーに。せめて友だちが、わたしたちの代わりに乱痴気騒ぎを繰り広げていてくれますように」
 ジョージアナはバートン家がとくにとんでもないとは思っていない。それに今の人脈のなさを考えれば、他にもっとましな行き先があったとも思えない。でもあれこれ事情を話せば、この場の雰囲気に水を差すだけだ。だからフラスクにグラスをかちりと合わせ、一気にコニャックを飲み干した。フランシスは柱にもたれ、物憂げなため息をついた。退屈なパーティーに耐えるほど、つらいことはないと言わんばかりの表情だ。
「唯一の慰めは、この家の女主人が、とんでもなく個性的な人物だってことね。彼女の格好を見たでしょ? 全身、ピンクのサテンに、どう見てもサイズの小さすぎるコルセット、まるで誰かがつかんで、ぎゅっと握ったイチゴのブランマンジェみたい。あのコルセットを脱がせるために、後でミスター・ガッドフォースは彼女にガチョウの油を塗りたくるはずよ」
 ジョージアナは、コニャックとフランシスのまなざしのせいで真っ赤になって、くすくす笑った。その反応に勢いを得たのか、フランシスはミスター・ガッドフォースの口ひげについてもばかにしたように言った。「まるで馬に踏まれたリスみたい、あんなひげって見たことある?」そこへ銀のフォークでグラスを叩く音が聞こえ、客間が静寂に包まれた。スピーチがはじまる気配だ。フランシスはくるりと目を回して立ち上がると、ドレスをさっとなでつけて、フラスクをバッグにしまった。
「行きましょ。ミスター・ガッドフォースが嬉し泣きをしながら、あのひどく忌まわしい絵のお礼に、彼の現世の肉体と不滅の魂を捧げるはずよ。にっこり笑って、お辞儀をしなくちゃ。それができなくてもせめて、彼が感激のあまりお父さまに熱烈なキスをしそうになったら、なんとか押しとどめなくちゃね」
 フランシスはジョージアナにさっと腕を差し出し、ふたりはパーティーに戻った。その姿は誰の目にも親友に見えた。

 思ったとおり、ガッドフォース夫妻は例の絵の正面に立ち、汗ばんだ手にこぼれそうなほどワインを注いだグラスを持って、客たちに笑いかけていた。見るまいとしても、どうしても哀れなミセス・ガッドフォースに目が行ってしまう。フランシスがばかにしていたとおり、小さすぎるサイズのコルセットに体を押し込んでいるせいで、胸が不自然に盛り上がっている。フランシスはもはやおもしろがっていることを隠そうともせず、声をあげて笑っている。そして次の瞬間、ジョージアナと絡めていた腕をほどくと、軽くうなずいて部屋を横切り、キャンベル夫妻と思しきカップルの横に並んだ。
 新しい友人も親戚もいなくなると、ジョージアナは突然、心細くなり、すごすごと部屋の後ろへ移動した。ミスター・ガッドフォースが咳払いと共にスピーチをはじめた。だがもごもごと活舌が悪く、一言も聞きとれない。代わりに、ジョージアナはキャンベル一家をじっくりと観察した。