立ち読みコーナー
目次
792ページ
〈登場人物紹介〉
ルシアン(ルーク)・オドネル             
慈善団体職員
オリヴァー・ブラックウッド             
法廷弁護士
ブリジット・ウェルズ              
ルークの友人
アレクサンダー(アレックス)・トゥワドゥル    
ルークの同僚
ジョン・フレミング    
ルークの父親。ロックスター
オディール・オドネル
ルークの母親。元ロックスター
トム
ルークの元恋人。ブリジットの恋人
プリヤ
ルークの友人
マイルズ
ルークの元恋人
デイヴィッド・ブラックウッド          
オリヴァーの父親
ミリアム・ブラックウッド  
オリヴァーの母親
81ページ~
 三日後、もっといい判断をしたいという思いと自らの抗議の声にもかかわらず、ぼくはオリヴァー・ブラックウッドとのデートの準備をしていた。ワッツアップ・グループ——「ワン・ゲイ・モア」(ミュージカル『レ・ミゼラブル』中の曲、『ワン・デイ・モア』のもじり)——には助言の言葉があふれていた。おもにぼくが何を着るべきじゃないかに関するものだ。結局、ぼくの服すべてに当てはまりそうだった。とうとう、もっとも細身のジーンズを穿き、先がいちばん尖った靴を履いて、見つけることができた、アイロンがいらない唯一のシャツとオーダーメイドのジャケットを着た。別にファッションの賞とかを獲得するつもりなんてないが、「何の努力もしていない」と「うんざりするほど絶望的」とのバランスをうまく取った服装という印象を与えられると思ったのだ。あいにく、さんざんメッセージを打って、うろたえて、くだらない批評をする奴らの称賛を狙って自撮りしていたせいで遅刻してしまった。だけど、オリヴァーはブリジットの友達だから、長年の間に遅刻に対してはかなり寛容になっているだろう。
 〈クオ・ヴァディス〉——オリヴァーが選んだ店だ。こんな上品な店にぼくが行くはずはない——のドアから駆け込んだとたん、はっきりとわかった。実際の話、オリヴァーはいかなる遅刻に対しても寛容さを育んでなどいなかったことが。彼は隅のテーブルにいた。ステンドグラスの窓から差し込む光のせいで、しかめた顔にはサファイア色と金色の斑になった影が落ちている。クロスで覆われたテーブルを、片手の指先でいらだたしげにトントンと叩いていた。もう一方の手は鎖につけた懐中時計を握っている。すでに何度も時間を調べたという気配を漂わせて、また時計を見ようとしているところだった。
 それにしても、冗談抜きで懐中時計の鎖とは。いったい、どういう奴だよ? 
「本当にすまなかった」ぼくはあえいだ。「ぼ……ぼくは……」いや、何の言い訳もできなかった。明らかな事実を話すしかない。「遅れてしまって」
「よくあることだよ」
 ぼくが到着したとき、オリヴァーはまるで五〇年代のティーダンス(午後のお茶とダンスを兼ねたパーティ)の場であるかのように立ち上がった。お返しに何をしたらいいのか、ぼくはすっかり途方に暮れた。握手するのか? 頬にキスする? お目付役(シヤペロン)に相談するとか?  「座ってもいいかな?」
「もし」オリヴァーは尋ねるように片方の眉を上げた。「きみにほかの約束がなければだが」
 これはジョークなのか?  「いや。いや、ぼくは、えーと、きみとの約束だけだよ」
 オリヴァーがどうぞというしぐさをしたので、ぼくはぶざまに体をくねらせて長椅子に座った。沈黙が漂った。モッツァレラチーズが糸を引くような長い沈黙は社交上、気まずかった。オリヴァーはぼくの記憶にあるとおりだった。クールで清潔で、「ピンストライプを非難する人」というタイトルの現代芸術の作品みたいな男。いらだたしくなるほどの美形。ぼくの顔ときたら、不運な日にピカソが製作したみたいなものだ——何の理由もなく母と父のそれぞれの部分を寄せ集めて作ったようなもの。でも、オリヴァーの顔は、十八世紀の哲学者なら神の存在の証拠だと見なしたような、完璧に均整の取れたものだ。
「アイライナーを引いているのか?」オリヴァーが訊いた。
「何だって? まさか」
「本当か?」
「まあ、それはぼくが覚えておくべきことだろうな。自分の目がアイライナーを引いたみたいに見えることはよくわかっているよ」
 オリヴァーはやや腹を立てたようだ。「ばかげている」
 ありがたいことに、そのときメニューを抱えたウエイターが現れ、しばらく互いを無視する口実が与えられた。
「まず食べるべきなのは」オリヴァーは言った。「スモークしたウナギ入りのサンドイッチだな。ここの自慢の一品だ」
 メニューは一枚の大きな紙の形で手書きの絵が入り、いちばん上には天気予報なんかが載っていたから、彼が何を言っているのかすぐにはわからなかった。「きっと十ポンドをはるかに上回る値段だろう」
「支払うのはぼくだから、そんなことは気にしなくていい」
 ぼくが身をよじったせいで、ジーンズが長椅子の革とこすれて甲高い音がした。「割り勘にしたほうがもっと気楽なんだけど」
「そのつもりはない。店を選んだのはぼくだし、ブリジットの話によれば、きみはフンコロガシと仕事をしているそうだね」
「ぼくはフンコロガシのために仕事をしているんだ」オーケイ、そう言い換えたところで、ましには聞こえない。「つまり、フンコロガシの保護の仕事をしている」
 さっきとは別の眉が上がった。「彼らに保護が必要だとは気づかなかった」
「ああ、ほとんどの人は気づいていない。それが問題なんだ。科学はぼくの得意とするところじゃないが、簡単に言うと、フンコロガシは土のために役立つし、絶滅してしまうと、人間はみんな餓死するんだ」
「だったら、いい仕事をしているじゃないか。だが、有名な慈善団体でさえ民間企業よりもかなり給料が少ないという事実は知っている」オリヴァーの目——鋭い暗灰色だ——に自分の目を長い間、しかもしっかりととらえられたので、ぼくは本当に汗をかき始めた。「ここはぼくがおごる。譲らないよ」
 奇妙なほど家父長的な態度だったが、彼もぼくも男だという理由で異議を唱えることが許されるとは思えなかった。「うーん……」
「そのほうが気分がよくなるなら、メニューの選択はぼくに任せてくれ。ここは気に入っているレストランの一つだし」オリヴァーは姿勢を変え、偶然にもテーブルの下で脚がぼくの脚に当たった。「失礼……ここを人に紹介するのは楽しい」
「あとできみのために葉巻を切ってほしいと思っているのか?」
「それは婉曲表現か?」
「『恋の手ほどき』(アメリカ映画。行儀作法をしつけられて淑女へ成長する少女の恋模様を描く)に出てくるだけだよ」ぼくはため息をついた。「だけど、わかった。きみが選んでかまわない。本当にそうしたいなら」
 〇・二秒ほどの間、彼は幸せと言ってもよさそうに見えた。「いいのか?」
「ああ。それから」まったく、なぜぼくはいつもこんなに無作法なんだろう?  「すまない。感謝するよ」
「食事制限されているものはあるか?」
「いや、何でも食べる。そう。食べ物なら。そういうことだ」
「それと……」オリヴァーはためらっていた。それから躊躇などしなかったふりをした。「酒は飲むか?」
 死にかけの魚みたいに心臓が跳ね上がった。長年、ぼくについて言われてきたことにわずかでも関係がありそうなほうへ会話が向かうと、いつもそうなるように。「信じるべき理由がきみには何もないとわかってるけど、ぼくはアルコール依存症じゃないんだ。セックス依存症でもない。ドラッグの常用者でもないよ」