立ち読みコーナー
目次
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〈登場人物紹介〉
アレックス・クレアモント=ディアス         
アメリカ合衆国の大統領の長男。大学生
ヘンリー                      
英国の王子
ジューン・クレアモント=ディアス          
アレックスの姉
ノーラ・ホラーラン                 
アレックスの親友。アメリカ合衆国の副大統領の孫
エレン・クレアモント=ディアス           
アレックスの母親。アメリカ合衆国初の女性大統領
オスカー・ディアス                 
アレックスの父親。エレンの元夫。上院議員
レオ                        
エレンの再婚相手
フィリップ                     
ヘンリーの兄
ラファエル・ルナ                  
コロラド州選出の上院議員
ジェフリー・リチャーズ               
共和党の大統領候補
ビアトリス                     
ヘンリーの姉
キャサリン                     
ヘンリーの母親
アーサー・フォックス                
ヘンリーの父親。故人
パーシー・オコンジョ                
通称ペズ。ヘンリーの親友。大企業の後継者
カッシアス(キャッシュ)              
エレンのシークレットサービス
エイミー・チェンバ                 
エレンのシークレットサービス
シャーン・スリヴァスタヴァ             
ヘンリーの侍従
ザハラ                      
大統領次席補佐官
 ホワイトハウス最上階のバルコニーの角、ちょうどサンルームの端にあたる部分に、少しだけゆるんだ羽目板がある。適度な力かげんで叩くと、その羽目板の裏側に刻み込まれたメッセージを読むことができる。鍵の先端か、そうでなければウエストウイングから拝借したペーパーナイフででも彫ったのかもしれない。
 歴代大統領一家の秘史に――ごくかぎられたゴシップ製造器ことメディアには、ほとんどの事柄について禁を犯せば死を覚悟するほどの慎重さが求められる――その文字を彫った人物の名前は記されていない。ひとつ言えるのは、大胆にもホワイトハウスに傷をつけられる人物がいるとしたら、大統領の息子か娘しかいないことだ。ジャック・フォード(第三十八代大統領ジョン・フォードのむすこ)が犯人だという人もいる。ジミ・ヘンドリックスのレコードをコレクションしていた彼は、深夜、バルコニーに通じるスキップフロアの自室から外に出てタバコを吸っていた。太いリボンを髪につけていた若きルーシ・ジョンソン(第三十六代大統領リンドン・ジョンソンの娘)説もある。だが、問題は誰がやったかではない。文字はそこにあり、それを発見できる才覚のある者のひそかな呪文となっている。
 アレックスはホワイトハウスで暮らすようになった最初の週に発見した。見つけた経緯は誰にも話していない。そこにはこう書かれている。

 ルール1、捕まってはならない。

 通常、二階のウエストベッドルームとイーストベッドルームは、大統領一家が使うことになっている。もともとはモンロー政権時代、ラファイエット侯爵が滞在時に使用するための広くて豪華な寝室だったが、その後、ふたつに分割された。いまはアレックスがトリーティールーム向かいの東の部屋、ジューンがエレベーターの隣の西の部屋を使っている。
 テキサスでの子ども時代も、ふたりの部屋は、いまと同じように廊下をはさんだ向かいにあった。当時は壁にべたべた飾られたものから、ジューンがそのとき入れ込んでいるものがわかった。十二歳のときは、水彩画。十五歳のときには、太陰暦のカレンダーと水晶の一覧表。十六歳になると、〈アトランティック・マンスリー〉の切り抜き、テキサス大学オースティン校のペナント、女性活動家のグロリア・スタイネム、作家のゾラ・ニール・ハーストン、そして公民権活動家のドロレス・ウエルタの刊行物からの引用句。
 アレックスの部屋はずっと同じで、ラクロスのトロフィーとか、高校時代には大学レベルの早期履修課題などが、少しずつ着実に詰め込まれていった。そうしたものは、いまも故郷のあの家で埃をかぶっている。アレックスはワシントンDCへ移った日からずっと、その家の鍵に鎖を通して、人目につかないよう首にかけている。
 廊下の向かいにあるいまのジューンの部屋は、なにからなにまで明るい白と淡いピンクとミントグリーンだらけで、部屋の写真が〈ヴォーグ〉に載った。ホワイトハウスのどこかの部屋で見つけた古き良き六〇年代のインテリア雑誌に着想を得た内装だ。アレックスの寝室は赤ん坊だったキャロライン・ケネディが使い、のちにナンシー・レーガンの執務室となった。ナンシーは浄化のためにその部屋でセージを燃やしていたはずだ、とジューンは言う。アレックスは、ソファの上に左右対称、格子状に飾られた草原のイラストを残しつつ、壁はサーシャ・オバマのときのピンク色から濃い青色に塗り替えた。
 少なくともこの数十年は、大統領の子弟も十八歳を過ぎると公邸で暮らさないのが慣例になっていたけれど、アレックスは母が宣誓をしたあの一月からジョージタウン大学での生活をはじめた。彼がワンルームを借りれば、その分、警備の手や費用がかかるから、このほうが合理的だ。ジューンは同じ年の秋にテキサス大学オースティン校を卒業するとすぐに移ってきた。本人の口から聞いたことはないものの、アレックスを見張るためであるのは知っている。アレックスが身近で起きる活動に興奮するであろうことを誰よりも心得ているのがジューンだ。実際、一度ならず、体を張ってアレックスをウエストウイングから引きずりだした。
 ドアを閉めて自分の部屋にいれば、人目を気にすることなく、部屋の片隅に置いたプレーヤーでホール・アンド・オーツのレコードをかけて、かつての父と同じように『リッチ・ガール』を口ずさんでいられる。世間的には使っていないことになっている読書用の眼鏡をかけることもできるし、カラフルな付箋を使って綿密な学習参考書を作ることもできる。その資格がないままに近代史上最年少の議員になるつもりはないにしろ、水面下でけんめいな努力を続けていることをひけらかす必要もない。そんなことがばれたら、セクシーな有名人という評判ががた落ちになる。
「ねえ」ドアの向こうから声がしたので、アレックスがノートパソコンから顔を上げると、ジューンが部屋に入ってくる。iPhone二台と複数の雑誌を小脇に抱え、皿を手にしたジューンは、足でドアを閉める。
「きょうはなにをくすねてきた?」アレックスは姉のためにベッドの上の書類をどける。
「ドーナッツの詰め合わせ」ジューンがベッドによじ登る。細身のスカートに、つま先が尖ったピンクのフラットシューズという格好だ。来週のファッションコラムが目に浮かぶ。ジューンの本日のコーディネート写真。冒頭には、スポンサーから、キャリア・ガール向けのフラットシューズの広告。
 きょう一日、ジューンはなにをしてたんだっけ?〈ワシントン・ポスト〉のコラムがどうのと言ってたような。それとも自分のブログ用の写真撮影?いや、両方かな?アレックスはその手のことを覚えていられたためしがない。
 ジューンは雑誌の束をベッドカバーの上に投げだし、早くも熱心に読み耽っている。
「偉大なるアメリカのゴシップ業界の存続に貢献してるわけ?」
「そのためにジャーナリズムの学位を取ったのよ」ジューンが答える。
「今週のお勧めは?」アレックスはドーナッツに手を伸ばす。
「どうかな。〈イン・タッチ・ウィークリー〉によると......わたしはフランス人モデルと交際中なんだって」
「そうなの?」
「だったらいいけど」ジューンはページをめくる。「あらら、それにあんたはお尻の穴のまわりの皮膚の脱色をしてるそうよ」
「事実だ」アレックスはスプリンクルがちりばめられたチョコレートドーナッツをもぐもぐやりながら答える。
「そうでしょうとも」ジューンは顔も上げない。その雑誌にざっと目を通して積みあげた山の底に突っ込み、〈ピープル〉に移る。気のないようすでぱらぱらとページをめくる。
〈ピープル〉に書いてあるのは広報担当チームたちが流した話だけ。味もそっけもない。「今週はわたしたちの記事はほとんどない......へえ、わたしがクロスワードパズルのヒントになってる」
 大衆紙やゴシップ誌に載った自分たちの記事を読むのが、ジューンの暇つぶしだ。母はそれをおもしろがったり、いらだったりし、アレックスはジューンに自分の記事のハイライトを読ませて悦に入っている。ほとんどは完全なでっちあげか、ホワイトハウスの広報担当チームが提供した読むにも値しない記事だが、ときにはきわめて異常でたちの悪い噂を防ぐのに役立つこともある。もし自分で選ぶなら、インターネット上で日々増えていくアレックスを題材としたファンの創作物が読みたい。なかには、圧倒的魅力と信じがたいスタミナを持つ超パワフルなアレックスの物語もあるのに、いくら賄賂をちらつかせても、ジューンはけんもほろろに断って読みあげてくれない。
「〈USウィークリー〉を読んで」アレックスはうながす。
「ええと......」ジューンが雑誌の山から探す。「へえ、見て。表紙にわたしたちが載ってる」
 ジューンがちらりとこちらに向けた表紙の隅にふたりの写真が掲載されている。髪をアップにしたジューンと、ほろ酔いかげんでも整ったあごの線と黒っぽい巻き毛でハンサムなアレックス。その下に黄色い太字で“大統領の子どもたち、ニューヨークでの奔放な夜”とある。
「ほんと、あれは奔放な夜だった」アレックスは革製の背の高いヘッドボードに寄りかかり、ずり落ちた眼鏡を押しあげる。「延々としゃべりつづける基調演説者がふたり。シュリンプカクテルと、炭素排出量に関する一時間半のスピーチ。それにまさるセクシーさがあるだろうか」
「記事によると、あんたは“謎の褐色の髪の女性”と密会したんだって」ジューンが読みあげる。「“催しのあと、大統領の娘はスターが集まるパーティ会場へリムジンで直行したが、みんなのあこがれ、二十一歳のアレックスは急ぎ会場を出たのち、こっそりWホテルに入り込むと、プレジデンシャル・スイートで謎の褐色の髪の女性と落ちあい、午前四時ごろホテルをあとにした。ホテル内部の情報源によれば、その部屋からはひと晩じゅう、嬌声が聞こえていたという。また、ちまたに渦巻く噂によると、褐色の髪の女性は誰あろう......ノーラ・ホラーラン。マイク・ホラーラン副大統領の二十二歳の孫娘にして、“ホワイトハウス三人組”の三番手のようだ。ふたりのロマンスが再燃したのだろうか?”」
「やった!」アレックスが歓声をあげ、ジューンがうめく。「一カ月以内だ!さあ、五十ドル払ってくれ」
「待って。相手はノーラだったの?」
 アレックスは記憶をたどる。先週、シャンパンのボトルを片手にノーラの部屋を訪ねた。はるかむかし、選挙遊説中のあっさり終わったふたりの行為は、どうせ避けられないことをさっさと終わらせるためのものだった。十七歳と十八歳、どこへ行っても自分が一番賢いと自負していたふたりは、最初からそうなる運命だった。あの日を境にアレックスはノーラのほうが百パーセント賢いと認めるしかなくなり、賢い彼女はそれきりアレックスとデートしていない。
 マスコミが放っておかないのはアレックスのせいじゃない。現代版のケネディ家扱いして、ふたりが交際していると思いたがる。だから、ときおりノーラとふたり、ホテルの部屋で飲みながらテレビで『ザ・ホワイトハウス』を観て、しつこいマスコミのために、外まで聞こえるような大きなうめき声をあげても責められる筋合いはない。望ましくない状況をふたりの娯楽に変えているだけなのだから。
 ついでに姉のジューンまで騙せたのだから、言うことなし。
「かもね」アレックスはのんびりした南部訛りで答える。
 ジューンがアレックスを雑誌で叩く。まるでおぞましいゴキブリみたいに。「卑怯者!」
「賭けは賭けだよ。一カ月以内に新たな噂話が出れば五十ドルだったよね。ちなみに、ぼくが使ってる送金アプリは〈ベンモ〉だから」
「払うもんですか」ジューンが息巻く。「あしたノーラに会ったら殺してやる。ところであんたはなにを着るの?」
「なんの話?」
「結婚式」
「誰の?」「もう。ロイヤル・ウエディングよ。イギリスの。いま見せたほぼ全部の雑誌に載ってるんだけど」
 ジューンがもう一度、〈USウィークリー〉を掲げる。こんどは、ばかでかい活字で書かれた目玉記事が目に入る。“フィリップ王子が誓いの言葉を!”そして、気取った笑みを浮かべた印象の薄いイギリスの王位継承者と、やはり目立たないブロンドの婚約者の写真。
 アレックスはショックとばかりにドーナッツを取り落とす。「今週末だっけ?」
「アレックス、午前中に出発よ。しかも式の前に公式行事がふたつ予定されてる。ザハラがあんたの尻を叩いてないなんて信じらんない」
「まずいな」アレックスはうめく。「メモしといたんだけど。うっかりしてた」
「あらら、五十ドルのためにわたしの親友と共謀してマスコミを利用したせい?」
「いや、レポートのせいだよ。うがちすぎだって」アレックスは芝居がかったしぐさで書類の山を示す。「今週はローマの政治思想にかかりきりでさ。それに、知ってのとおり、ノーラはぼくたちふたりの親友だ」
「そんな講義なんかあるはずないわ。それに、今年最大の世界的イベントをわざと忘れるなんて、そんなこと、できる?いくら宿敵に会いたくないからって」
「ジューン、ぼくはアメリカ合衆国大統領の息子で、ヘンリー王子はただの大英帝国の看板息子だ。“宿敵”なんて、気安く言わないでくれる?」アレックスはつぎのドーナッツを手に取り、考え込むような顔で口を動かす。「“宿敵”といったら同レベルのライバルだからね。ところがあっちは自分の写真でマスターベーションしてるに違いない、思いあがった近親交配の産物でしかない」
「言うわね」
「ぼく個人の見解だけど」
「まあね、彼を好きになる必要はないの。楽しそうなふりして、彼のお兄さんの結婚式で国際問題を引き起こさなければそれでいい」
「バグ(偉ぶっている人の意味)、ぼくがいつ楽しそうでない顔をした?」アレックスが苦痛に満ちた作り笑いをしてみせると、ジューンが不愉快そうな顔になる。ざまあみろ。
「ふん。それはともかく、どんな服装をすればいいか、わかってるわね?」
「ああ、先月、ぼくが選んでザハラからオーケーをもらった。ぼくだって野獣じゃないからね」
「わたしはまだ迷ってる」ジューンが身を乗りだして、彼の抗議の声などおかまいなくりいろしにノートパソコンを横取りする。「栗色のと、レースがついてるのと、どっちがいいと思う?」
「そりゃレースさ。イギリスだよ。ところで、なんでぼくを落第させようとすんだよ?」パソコンに手を伸ばしたけれど、たちまちその手を払われる。「インスタグラムかなんかで情報収集すれば?最低だな」「うるさいわね。いま、観るものを選んでるところなの。うぇ、これから観る映画リストに『終わりで始まりの4日間』が入ってる。へえ、二〇〇四年のインディペンデント映画ってどんな?」
「姉さんなんか大嫌いだ」
「ふん、わかってるわよ」
 窓の外では風が庭の芝生を吹き渡り、リンデンバウムの葉を揺らしている。部屋の隅でターンテーブルに載せたレコードの曲が終わり、静かな雑音だけが残っている。アレックスはベッドからおりてレコードを裏返し、『ロンドン・ラック・アンド・ラブ』に針をセットする。

 正直に言おう。アレックスは母の就任から三年たったいまでも、プライベートジェットに乗るたびにわくわくする。