立ち読みコーナー
目次
400ページ
登場人物紹介
ベティ                      花屋の店員
トム・ラング                   保険の査定員。実は工作員
ヘンリー                     トムの旧友。武器商人
へリーン・シンクレア               トムのボスのひとり
アーチャー                    トムのボスの息子
ベア/フォックス/クロウ             トムの仲間たち
スコーピオン/バジャー              トムのチームのメンバー
ジェン                      ベティの親友
チャールズ・アディーサ              トムのボスのひとり
15ページ~
 ゆっくり意識が戻ってきた。夜の海の中に沈んでいるみたいだ。でも今回は横になっていない。薄明かりのあるだだっ広い部屋で椅子に座らされている。誰かが私の靴を盗んだらしく、裸足の足の裏に床が冷たい。すべてが吐き気を催すほど恐ろしく、気持ちが悪い。手は体の後ろにまわされ、痛いほどきつく縛られている。まぶしいライトで顔を照らされた。それと同時に暗闇も消えた。目がくらむ。さらに刺すような激痛がもともとズキズキ痛んでいた頭を突き抜ける。かと思ったら、今度はバケツで冷たい水を頭からかけられた。
「起きろ!」男の怒鳴り声。「しゃべってもらおうか、ミス・エリザベス・ドーシー」
 身がすくんで震える。「こ、ここはどこ?」
「俺が訊くことだけに答えりゃいいんだ。それがここの決まりだ」
「それって本当に必要?」イギリス訛りの女の声。部屋のずっと後ろのほうにいるみたいだ。「彼に怒られるんじゃない?」
「黙ってろ!」男がまた怒鳴った。
 ライトがまぶしくて、ほとんど何も見えない。足の下のコンクリートは冷たく、空気はほこりっぽくてよどんでいる。ここはいったいどこなのだろう。「状況がのみこめないわ。あなたたちは誰?」
 重い足音が近づいてきたかと思うと、バシッ! 男の手があたると同時に、頬に衝撃が走った。ふざけないで! 今まで一度だって殴られたことなんかないのに。激しくショックを受けた。頬がジンジンして、口の中は血の味がする。どこか噛んだらしい。そういえば、さっきから体のあちこちが痛む。
「あたしなら、それはしないな」女が言う。
 男は無視して、ライトの向こうに戻っていった。
「“ウルフ”っていう言葉の意味、知ってるか?」
「ウルフ?」私は訊き返す。
「質問に答えろ」
「知らないと……思うけど」体が震えるのは恐怖のためだけではない。氷のように冷たい水がびしょ濡れの服の下で体を伝って落ちていく。「動物の“狼”?」
「ほかには?」
「毛皮? 牙?  『ゲーム・オブ・スローンズ』に出てくるスターク家の紋章? わからないわよ」
 女が笑い声をあげる。
「婚約者の話を聞かせろ」男が食いさがる。「あの男について知ってることを全部話せ」
 頭がますます混乱してきた。わけがわからない。「どうして? トムは悪いことなんてしてないわ。ただの保険の査定員よ。火災やら洪水やら、そういうことがあったら保険を請求する手伝いをするのが仕事よ。今は現場に行ってるの。フロリダで起きたハリケーン被害の査定よ。ニュースでも言っていたじゃない」
「本当にそうなのか?」
「どういう意味?」急に恐ろしい考えに襲われた。「まさかトムは……無事よね? 爆発に巻きこまれたなんてことはないわよね。大陸の反対側に行ってたはずだもの」
「ああ、巻きこまれちゃいない。さあ、やつのことをもっと話してもらおうか」
「ええと、出会ったのは繁華街のバーで、つきあいはじめてから一年ちょっと。仕事の虫よ。フットボールを見るのと、早朝ランニングが好き。好物はラザニア。ビールはバドライト。私は嫌いだけど」
「ほかには」
「何を言えばいいのよ!」私は叫んだ。生まれてこのかた、これほど恐ろしい思いをしたことはない。
「トムがどんなやつか話してみろ」
「普通の人よ。身長も平均的。健康的だけど、筋骨隆々でもない。目も髪も茶色。三十一歳」
「チクタク、チクタク」女が言う。「はい、時間切れ」
「誰かがへまをしたからな」男が低い声で返す。
「眠り薬を盛りすぎちゃったかな。悪い」
 男がうなり声をあげる。「うるせえ、くそ女」
 私は頭がガンガン痛むのを感じていた。「ええと……トムはベッドの右側で寝るわ」
「家にどんな武器がある?」
「銃とか、そういうもの? 一つもないわよ。私が大嫌いだから。彼もそうよ」
 またしても、女が笑い声をあげる。「頭悪いわね、彼女」
「うるせえ」男がまた言った。
「トムは立派な人よ。人あたりもいいし、礼儀正しいし。ソーシャルメディアも使わない。そして肉親はいないの」私の言うことは何一つとして知られてまずい情報でもなければ興味をかきたてる内容でもない。それでも話すこと自体に罪悪感を覚えた。だが、ほかにどうしようもない。「これでいいでしょ? わけがわからない。いったい彼が何をしたの? 何にかかわってるの?」
「何かにかかわってるって誰が言った?」
「あなたが私をここに閉じこめて、尋問しているということは、何かが進行しつつあるってことでしょ」
「おい、俺がこんなにも優しくしてやってるってことがわかってないようだな」男が不気味に言い放った。「すぐに後悔するはめになるぞ。どれだけ怖い思いをすることになるか、わかってないだろ」
「あなたの望みはなんなの? コンドミニアムを爆破したのもあなたなの?」鼓動が激しくなる。空気が薄くなった気がした。「私を殺すつもり?」