立ち読みコーナー
目次
448ページ
登場人物紹介
ローウェン・アシュリー              作家
ヴェリティ・クロフォード             ベストセラー作家
ジェレミー・クロフォード             ヴェリティの夫
クルー・クロフォード               ヴェリティとジェレミーの息子
チャスティン&ハーパー              ヴェリティとジェレミーの双子の娘。故人
コーリー                     ローウェンのエージェント
エイプリル                    看護師
43ページ~
「なぜ奥さんはシリーズを自分で書き上げないの?」
「交通事故に遭ったんだ」ジェレミーはいった。無機質な返事、まるで自分をいかなる感情からも切り離そうとするかのようだ。
「ごめんなさい。知らなくて」わたしはかすかに身じろぎした。なんといえばいいのか、次の言葉が思い浮かばない。
「誰か他人が、妻の契約を引き継ぐなんて、最初はあまりいいアイデアだとは思えなかった。彼女が回復するのを願っていたからね。けど——」ジェレミーは口ごもった。「こうなったわけだ」
 それを聞くと、ジェレミーの態度にも納得がいく。ミーティングの間、ジェレミーは終始無言で、控えめだった。彼の沈黙は悲しみによるところが大きいのだろう。それが彼の妻に起こったことのせいなのか、さっきトイレで話してくれたこと——数カ月前の娘の死——のせいなのかはわからない。けど、ジェレミーは勝手のわからない出版業界で、普通の人が直面するはずもない、大きな決断を下さなくてはならない状況に追い込まれている。「大変ね」
 ジェレミーはうなずいた。だがそれ以上は何もいわず、椅子に腰をおろした。もしかしたら、まだわたしがそのオファーを引き受ける可能性があると思っているのだろうか? だとしたら、もうこれ以上、ジェレミーの時間をむだにできない。
「オファーには感謝しています。でも正直にいって気が進まないの。人前に出るのも苦手だし、なぜヴェリティの編集者がわたしに白羽の矢を立てたのかもわからない」
「『結末は霧の中』」
 突然ジェレミーが口にした自分の本のタイトルに、わたしは身を固くした。
「それがヴェリティのお気に入りの一冊だった」
「ヴェリティがわたしの本を?」
「彼女はいってた、次にくるのはきみだって。それからきみと自分の文体が似ているとも。だから編集者にきみの名前を伝えた。もしヴェリティのシリーズを引き継いでもらうとしたら、彼女が認めている誰かにしたいと思ったから」
 わたしは頭を振った。「びっくりだわ。嬉しいけど……むりよ」
 ジェレミーは黙ってわたしを見た。たぶん、ほとんどの作家が飛びつくこのオファーに、なぜわたしが乗ってこないのか、考えているのだろう。変な女、そう思っているのかもしれない。普段ならそれを自慢に思うところだ。わかりやすい女だと思われるのは癪にさわる。けれど、この場では逆だ。けさの彼の親切に報いるためにも、もっとわかりやすく、自分の気持ちを話せたらいいのにと思っている。けど、何をどう話せばいいのかわからない。
 ジェレミーは興味津々といった顔で身を乗り出した。そしてしばらくわたしを見つめたのち、拳でとんと軽くテーブルを叩いて、立ち上がった。ミーティングは終わり、そういう意味だろう。わたしもジェレミーに続いて立ち上がろうとした。ところがジェレミーはドアへ向かわず、額縁に入った表彰状がずらりとかかっている壁の前へ歩いていく。わたしはふたたび椅子に腰をおろした。ジェレミーはわたしに背を向けたまま、表彰状を眺めている。彼が額の一つに指をすべらせた瞬間、わたしはそれが彼の妻のものだと気づいた。ジェレミーはため息をつき、わたしを振り返った。
「“クロニクス”っていわれる人たちのことを知ってる?」
 わたしは首を振った。
「ヴェリティが作った言葉なのかもしれない。娘たちが死んだとき、ヴェリティはいった。わたしたちはクロニクスだって。慢性的な悲劇に見舞われる人々。次から次へと悲惨な出来事に」
 ただ呆然とジェレミーを見つめ、聞いたばかりの彼の言葉を噛みしめる。たしか娘を失ったとは聞いたけれど、彼は今、娘たちと複数形を使った。「娘たち?」
 ジェレミーは息を吸うと、観念したように大きく息を吐いた。「ああ、双子だったんだ。ハーパーが亡くなる六カ月前に、チャスティンを失った。それは……」ジェレミーはヴェリティの名前を口にしたときのように、一切の感情を切り離そうとしているけれど、さっきほどはうまくいかないようだ。顔をさすり、椅子に戻った。「悲劇など経験しない幸せな家族もいる。その一方で、いつでもその背後で、悲劇の炎がちらちらと燃えている家族もいる。悲劇が起こると、それがまた悲劇を呼び、さらなる悲劇が起こる」
 なぜ、ジェレミーはわたしにこんな話を? わからない。だが質問はしなかった。たとえ彼の口から出てくるのが気の滅入るような話だとしても、彼の声を聞けるのは嬉しい。
 ジェレミーは水のボトルをテーブルの上でくるくると回し、それを眺めながら、物思いにふけっている。彼がわたしとふたりで話がしたいといったのは、たぶんこの仕事を引き受けろと説得するためじゃない。ただふたりきりになりたかっただけだ。たぶん、あんなふうに妻のことが取り沙汰されるのが耐えられなくて、ひとりになりたかったのだろう。せめてもの慰めは、この部屋にわたしがいても、彼が自分ひとりでいるみたいに、くつろいでいることだ。
 あるいは、彼はいつも孤独を感じているのかもしれない。おそらく彼がいうところの“クロニクス”だ。昔、わたしの隣の家に住んでいた男のように。
「わたしはリッチモンドで育ったの」わたしはいった。「隣人は、二年間で家族三人、全員を失った。息子は戦争で、その息子の妻は六カ月後に癌で、娘は交通事故で亡くなった」
 ジェレミーは水のボトルを回す手を止め、それを少し離れたところに置いた。
「で、今、その人はどこに?」
 わたしは固まった。予想外の質問だ。
 実は、男は大切な家族をすべて失ったことに耐えられず、娘の死から数カ月後に自殺した。だが、娘たちを亡くして悲しんでいるジェレミーに、それを告げるのは酷すぎる。
「まだ同じ街に住んでるわ。数年後に再婚して。今では義理の子供が数人と、孫もいるの」
 ジェレミーの顔を見れば、わたしの嘘に気づいているのは明らかだ。だが、同時に、彼がその嘘に感謝しているのもわかった。
「ヴェリティの仕事場でしばらく過ごして、彼女のものを見てほしい。数年分のメモや構想メモ(アウトライン)がある。ぼくには何を意味するのかまったくわからないけれどね」