立ち読みコーナー
目次
896ページ
はじめに                                    002
第1部……草創期
 第1章 生まれ変わったゲーム                         014
 第2章 カントナとカウンターアタック                     042
 第3章 SASコンビと「ジ・エンターテイナー」                070

第2部……テクニックの進化
 第4章 ラインの間を突け                           110
 第5章 Ars ènal(アーセンナル)                    145
 第6章 スピード化の流れ                           174

第3部……勢力拡大
 第7章 ヨーロッパへの進出と、ローテーション制                202
 第8章 海外発の革命                             235
 第9章 ビッグサム&ロングボール                       259

第4部……オールラウンダーの時代
 第10章 ワントップの到来                           290
 第11章 インヴィンシブルズ(無敵のチーム)とコンヴィンシブルズ(説得力)   323
 第12章 マケレレ役                              353

第5部……守備的戦術
 第13章 イベリア半島の影響、パート1                     380
 第14章 イベリア半島の影響、パート2                     410
 第15章 中盤のトリオ                             446

第6部…… ダイレクトアタック
 第16章 「ルーナルド」                            486
 第17章 冷たい雨と強風にさらされた、ストークでのナイトゲーム         518
 第18章 逆足のウインガー                           543

第7部……ボールポゼッションの時代
 第19章 「イタリア流の仕事術」                        576
 第20章 ティキ・タカ                             615
 第21章 アシスト役と偽の9番                         650

第8部……ポスト・ボールポゼッション時代の戦術進化
 第22章 ブレンダン・ロジャーズが味わった挫折                 680
 第23章 プレッシングという新たなテーマ                    717
 第24章 レスターの歴史的快挙                         752
 第25章 現代に蘇るスリーバック                        790
 第26章 シティにまつわる100の物語                     816
 第27章 ワールドカップ後に起きた変化                     843
 補 章 日本人選手とプレミアリーグ                      866

著者あとがき                                  876
謝辞                                      884
訳者あとがき                                  886
(680ページ~)
第22章 ブレンダン・ロジャーズが味わった挫折
「現代サッカーのデータを見れば、ボール支配率を高めて試合をコントロールしたくなる。だがエヴァートン戦では、ボールを持たなくとも試合を支配できた」
(ブレンダン・ロジャーズ)


■ 現代に蘇った「ジ・エンターテイナー」
 優勝したチームよりも準優勝に終わったチームが、きわめて魅力的なサッカーを展開する。プレミアリーグの歴史では、このような現象が2回起きたことがある。
 最初の例は、1995/96シーズンのニューカッスルである。最後は戦術的なナイーブさが徒となり、マンチェスター・ユナイテッドに敗れたが、キーガン率いるチームは強烈な印象を残した。
 これによく似ていたのが、2013/14シーズンのリヴァプールである。最終的な結果もさることながら、リヴァプールとニューカッスルには共通する要素が多かった。まずニューカッスルとリヴァプールは、ともにサッカー人気が高いイングランド北部の都市に本拠地を構えていたし、どちらのクラブにとっても、プレミアリーグで初のタイトルを獲得することが悲願となっていた。
 共通点は他にもある。両クラブはいずれも容赦なく攻撃を仕掛けることを好んだが、選手の個々のプレーに依存する傾向が強かったし、ともすれば守備を軽視しがちだった。
 さらにリヴァプールの場合は若手監督がチームを率い、南米からやってきた気性の激しいストライカーが存在感を発揮し、シーズン終盤、ホームのアンフィールドで手に汗握る大一番を迎えるという要素まで加わった。その意味でリヴァプールは、現代に蘇った「ジ・エンターテイナー」に他ならなかった。
 2013/14シーズンのリヴァプールは、ロイ・ホジソンとケニー・ダルグリッシュが解雇されたのを受け、ブレンダン・ロジャーズが新たに指揮を執るようになっていた。ロジャーズはスウォンジーの監督時代、アンフィールドでおこなわれた試合において、リヴァプールのサポーターからやんやの喝采を受けていた。この見慣れぬ光景は、数年前にオーナーに収まっていたフェンウェイ・スポーツ・グループの関係者に、強烈な印象を与えていた。
 ちなみにフェンウェイ・スポーツ・グループは、MLBのボストン・レッドソックスを蘇らせた経験も持っていた。その際に用いられたのは「マネーボール」と呼ばれる画期的な手法だが、彼らはリヴァプールにおいても進歩的な発想をする監督を据え、古豪を復活させようとしていた。かくして白羽の矢が立てられたのがロジャーズだった。
 ロジャーズの監督起用は、2つの意味で自然な流れだったと言える。
「マネーボール」に象徴されるように、フェンウェイ・スポーツ・グループはデータを駆使したチーム作りを重視していた。またリヴァプールというクラブは。昔から魅力的なサッカーを重視してきたことでも知られる。ロジャーズは人一倍データにこだわる監督だったし、スウォンジーを率いていた頃は、ボールポゼッションを基盤にしたサッカーを追求していたからである。
 事実、ロジャーズはパスサッカーに対する思い入れを誇らしげに語りつつ、自分がスウォンジーで記録したようなボール支配率を、リヴァプールでも再現したいと述べている。
「ボールを65~70%の時間帯で支配できれば、相手は息の根が止まってしまう」。彼は監督就任から数週間後に述べている。「まだそのレベルには達していないが、僕はそこを目指していく。相手のサッカーを窒息させるんだ」
 ボール支配率で相手を完全に圧倒する。ロジャーズは、このいまだに達成されたことのない目標を大胆に掲げたのである。
 たしかにロジャーズは、最初に臨んだ移籍市場では、チームのプレースタイルを一新させるような選手を獲得できていない。だが彼の意図は、移籍市場の動きからも明らかに読み取れた。
 まずクロスからヘディングを狙う、古典的なターゲットマンであるアンディ・キャロルを放出し、一か八かのロングボールを前線に放り込んでいたミッドフィルダーのチャーリー・アダムにも、三行半を突き付ける。
 代わりにチームに招かれたのは、ジョー・アレンとファビオ・ボリーニだった。
 ジョー・アレンは、スウォンジー監督時代のロジャーズが頼りにしていたミッドフィルダーの1人であり、ロジャーズが期待を込めて「ウェールズのシャビ」と呼んでいた選手だった。一方のボリーニは、ロジャーズがチェルシーのユースチームでコーチを務めていた頃の教え子で、ローマでプレーしていた選手である。
 ちなみに当時のローマを率いていたのは、後にバルセロナでペップ・グアルディオラの後任に就くルイス・エンリケだった。つまりアレンとボリーニは、ボール支配率を重視するロジャーズ流のサッカーをすでに理解していたことになる。
 プレミアリーグのシーズンが開幕する前、ロジャーズはクラブの内幕をリアリティ番組風に撮影した「ビーイング・リヴァプール」という番組にも出演。「われわれは水を飲まなくとも何日も生きていけるが、希望を持たなければ一瞬たりとも生きていけない」という台詞などでファンの間で人気を博した。
 この番組の中ではロジャーズが、アレックス・ファーガソンが1993/94シーズンの開幕前に取った行動を真似してみせる場面もあった。選手を集めて3枚の封筒を取り出し、ここには今シーズン、脱落する選手の名前が記してあると告げて奮起を促したのである。

■ 天使と悪魔の顔を持つ選手
 しかし監督1シーズン目のロジャーズは、ファーガソンのような結果を出すことができなかった。
 リヴァプールは、最初の5試合で勝利をあげることに失敗してしまう。たしかにその後は徐々に順位を上げ、1月の移籍市場ではダニエル・スタリッジとフィリペ・コウチーニョを獲得してさらに勢いを増したものの、最終的には7位で2012/13シーズンを終えている。
 このような内容はケニー・ダルグリッシュがチームを指揮した前シーズンに比べても、明らかに見劣りするものだった。
 ダルグリッシュはロイ・ホジソンの解雇を受け、2010/11シーズンの途中から監督に就任。リヴァプールを率いるのは自身二度目だったが、開幕からチームを指揮した前シーズンにはリーグカップを制し、FAカップの決勝にも進出したからである。これに対してロジャーズ配下のリヴァプールは、リーグ戦で前シーズンから1つ順位を上げただけだった。ファンはカップ戦で勝ち上がり、溜飲を下げることもままならなかった。
 むしろ2012/13シーズンの終盤、リヴァプール絡みで話題を独占したのはチームのプレーではなく、ルイス・スアレスの問題だった。
 ウルグアイ出身のスアレスは超一流のフォワードであり、リヴァプールのファンの間でも非常に人気が高かった。ロジャーズ自身、スウォンジー監督時代にはスペイン語で、こう声をかけたこともある。「君はすばらしい選手だ。(才能に恵まれて)おめでとう」
 だが不幸なことに、スアレスには余計なトラブルを引き起こす悪癖があった。
 もっとも有名なのは2011年10月、マンチェスター・ユナイテッドの左サイドバック、パトリス・エヴラ相手に起こした事件である。スアレスは試合中、人種差別的な言葉をエヴラに吐き、サッカー協会から8試合の出場停止処分を受ける。
 ところがダルグリッシュは、スアレスを全面的に擁護。さらには選手たちも試合前のウォーミングアップの際に、スアレスを擁護するTシャツを着るというパフォーマンスをおこない、人々の失笑を買っている。ちなみにダルグリッシュは、この人種差別事件への対応を間違えたために、解任されたのではないかと指摘する人さえいる。
 出場停止処分が解けたスアレスは、アウェーのマンチェスター・ユナイテッド戦で先発復帰を果たすが、そこでも二度ほど物議を醸した。まず試合開始前には、エヴラと和解の握手を交わすのを拒否する。しかも試合中には、ゴールまで奪ってみせたのである。恥ずべき行動をとりながら、ピッチ上ではすばらしいプレーを披露する。それがスアレスという選手だった。
 ロジャーズが指揮を執った1シーズン目の終盤、スアレスはさらに厳しい処分を受けている。チェルシー戦でブラニスラヴ・イヴァノヴィッチの腕に噛み付き、今度は10試合の出場停止処分となったのである。しかもスアレスは、イヴァノヴィッチと特に激しく揉めていたわけでもなかった。ごく普通にボールを競り合った後、いきなり暴挙に出ている。
 たしかに外国人選手たちは、プレミアリーグに目新しい要素を幾度となく持ち込んできた。だがスアレスは、まったく異質なインパクトを与えている。プレースタイルや戦術ではなく、新しいファウルの仕方を紹介したからである。噛みつき事件は国会でも話題になり、デイヴィッド・キャメロン首相が「もっとも理解に苦しむケースだ」とコメントする事態にまで発展した。
 ちなみにスアレスが相手に噛み付くのは、これが最初でもなければ最後でもなかった。現に彼はアヤックス時代にも似たようなトラブルを起こしていたし、ウルグアイ代表でも同じことを繰り返している。
 2013年の夏から出場停止が続いていた2013/14シーズンの序盤にかけて、スアレスはイングランドのサッカー界に愛想を尽かし、他のリーグに移籍することを決意するようになる。
 そもそも前年の夏にはユヴェントスが獲得に興味を示していたため、スアレスはリヴァプール側と紳士協定まで交わしていた。その内容はチャンピオンズリーグの出場権を確保できなかった場合には、移籍を認めるというものだった。
 だが、この取り決めには2つの問題を生んでいく。まずユヴェントス側の熱が冷めた結果、スアレスに興味を示す海外のクラブがほとんど存在しなくなってしまう。
 そんな中、思いもかけぬクラブが獲得に名乗り出る。同じイングランドのアーセナルである。アーセナルはスアレスの獲得に非常に意欲を示し、契約内容を精査し始める。やがてスアレスが結んでいた契約に、4000万ポンドの移籍条項(一定額以上のオファーがあった場合には、自動的に他のクラブへの移籍が成立するという規定)が盛り込まれていることを発見し、4000万1ポンドをリヴァプール側に提示した。
 しかし事態は予想外の展開を見せた。リヴァプールはスアレスの放出を拒否したばかりか、移籍条項を都合のいいように曲解し、自分たちに生じる義務はオファーがあったことを本人に通告することだけだと主張したのである。
 これは移籍条項なるものがほとんど意味をなさず、内実に乏しいものだったことを物語る。現にリヴァプールのオーナーであるジョン・ヘンリーは、ボストンで開催されたMIT Sloan Sports AnalyticsConference というシンポジウムにおいて、堂々と言い放っている。
「イングランド、そして世界のサッカー界では、契約などあまり意味を持たないことがわかった。どれほど長い契約を結んでいるかは問題にはならない。だからわれわれは単純に売却しないという立場を取った」
 結果、スアレスは『ガーディアン』紙の独占インタビューで告白したように、リヴァプールに対して強い恨みを抱くようになる。
 1つ目の理由は、クラブ側が紳士協定を破ったことである。
「去年はヨーロッパのビッグクラブに移れるチャンスがあったし、次のシーズンにもチャンピオンズリーグの出場権が取れなかったら移籍させてもらえる。そう信じていたからクラブに残ったんだ」。スアレスは不満をぶちまけている。「昨シーズンは自分が持っているすべての力を出し切ったけど、ベスト4に届かなかった。リヴァプール側には、とにかく自分との約束を守ってほしい」
 2つ目の理由は、アーセナルからのオファーを勝手に拒否したことだった。「(移籍条項は)クラブ側も保証していたし、契約にも書いてある。なんならプレミアリーグ側に訴えて判断してもらってもいい。でもそんなことはしたくない」
 以降、スアレスを取り巻く状況は、さらに悪化。実質的に1軍のトレーニングに参加するのを禁じられ、謝罪するまではチームに合流できないと申し渡される事態にまで発展した。

■ ジェラードが救った、チームのピンチ
 それを考えれば、スアレスがリヴァプールに残留したのは驚くべきことだった。しかも2013/14シーズンには、プレミアリーグの歴史に残るようなパフォーマンスまで発揮したのである。
 ではスアレスはなぜ残留を決めたのか。
 大きな要因となったのは、スティーヴン・ジェラードの介入だった。彼は長年にわたってクラブのキャプテンを務めてきたが、実質的なリーダーだったジェイミー・キャラガーが引退した後は、さらに重要な役割を担うようになっていた。
 ジェラードはスアレスに対して、アーセナルへの移籍は「寄り道」であり、リヴァプール側と揉めてまで実現させる価値はない。ならばもう1シーズン、リヴァプールですばらしいプレーを披露し、レアル・マドリーかバルセロナに確実に移籍できるようにしたほうが利口だと説いた。
 スアレスは、この説得を受け入れる。スアレス自身、プレミアリーグそのものと縁を切る腹は決まっており、イングランドの他のクラブと長期契約を結ぶのは避けたいと思っていたからである。
 ちなみにジェラードは、メルウッドにあるトレーニンググラウンドで早朝にスアレスと落ち合い、直接話をしている。本来であれば、これは禁じ手だった。スアレスは1軍の練習に参加することが禁じられており、選手たちが昼にトレーニンググラウンドを去るまでは姿を現してはいけないことになっていた。
 こうしてスアレスを説得したジェラードは、さらに一計を案じている。ロジャーズとの話し合いの場を設けたのである。おそらくジェラードが同席しなければ、スアレスが話し合いに臨むことなどなかっただろう。幸い、話し合いの席ではすべてが水に流される。スアレス自身、アーセナルへの移籍を望んでいないことが確認され、リヴァプールに留まることで話がつく。こうしてジェラードは、舞台裏でもチームを支えたのである。
 当時のジェラードは、移籍市場でもきわめて重要な役割を担うようにさえなっていた。2013年の夏には、シャフタール・ドネツクに所属していたブラジル人選手、ウィリアンにさかんにSMSを送り、アンフィールドに来るようにと説得を試みている。
 結局ウィリアンは、チャンピオンズリーグへの出場を優先したいということで誘いを断り、チェルシーに移籍することになる。だが予想に反してスアレスという花形選手を引き止めることができたのは、チームにとってきわめて大きなプラスとなった。
 たしかに、シーズン最初の5試合に出場できないという問題は残っていたが、残り試合のことを考えれば、これは取るに足らなかった。
 事実、2013/14シーズンのリヴァプールは、スアレスのゴールとジェラードのプレーに牽引される形でプレミアリーグのタイトルに肉薄していく。
 ちなみにジェラードは、8月には記念試合もおこなっている。もともと記念試合の開催は、クラブで10年間プレーしていることが1つの目安になるが、ジェラードはその節目をかなり前に過ぎていた。
 にもかかわらず、あえてこのタイミングで大掛かりなイベントを開催したのは、現役生活が終わりに近づいていることを自ら認めたかのようなものだった。当然、ファンの間では、プレミアリーグ制覇という悲願をなんとかして叶えてやりたいという声が高まったが、ジェラード自身は夢を諦めてしまったかのような発言をすることもあった。
「リヴァプールでタイトルを取るという夢をここで実現できたら、それは奇跡だと思う」。ジェラードは自叙伝で、このように述べている。「自分の年齢やここ数年間のリーグでの順位、そしてライバルチームとの関係もあるからだ」
 たしかに見通しは明るくなかった。シーズン開幕前、リヴァプールにつけられたオッズは33対1。優勝候補の予想では5番手に過ぎず、チャンピオンズリーグの出場枠さえ確保できないだろうと見られていた。
 だが実情は微妙に異なる。マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、チェルシーといったライバルチームは、いずれも監督が交代したためにチームの先行きが不透明になっていた。ユナイテッドとシティでは、デイヴィッド・モイーズとマヌエル・ペレグリーニが指揮を執るようになり、チェルシーにはジョゼ・モウリーニョが復帰していた。残るアーセナルもシーズン開幕後にメスト・エジルと契約するまでは、大物選手を獲得できていなかった。つまりリヴァプールには、一気に台風の目となるチャンスがあったのである。

■リヴァプール版のSASコンビ
 このような状況の中で幕を開けた2013/14シーズン、リヴァプールはすばらしいスタートを切る。
 スアレスが出場できない代わりに、ダニエル・スタリッジが4-2-3-1のワントップを務め上げ、開幕からの3試合で連続してゴールを記録。ストーク、アストン・ヴィラ、そしてマンチェスター・ユナイテッドに1-0の勝利を収めた。
 だがこれらの試合結果は、新たなプレースタイルが浸透していなかったことも意味する。後にリヴァプールは、全員で攻撃を展開するチームへと変貌していく。事実、1-0の僅差で勝ちきるような試合は、シーズンを通して一度も再現されなかった。だが開幕の時点では、そこまでの力強さは見られなかった。
 現にリヴァプールは続くスウォンジー戦は2-2で引き分け、サウサンプトンには0-1で敗れてしまう。そこで巡ってきたのが、きわめて重要なサンダーランドとの一戦だった。
 むろん連勝が止まったとはいえ、通常ならばシーズン序盤の6試合目は大きな山場にならない。だがリヴァプールの場合は違っていた。10試合に及ぶ出場停止が明け、スアレスがピッチに戻ってきたのである。
 攻撃陣の大黒柱の復帰を受け、ロジャーズは驚くべき決断を下す。それまでのシステムを破棄し、3-4-1-2を採用したのだった。
 ロジャーズが狙ったのはスアレスとスタリッジの双方を、本人たちがもっとも好むセンターフォワードで起用することだった。しかし彼はシンプルな4-4-2を採用しようとはしなかった。それでは中盤に3人のミッドフィルダーを配置できなくなるからである。
 たしかに配下の選手たちは、スリーバックには必ずしも向いていなかった。ヴィクター・モーゼスは10番ではなかったし、ジョーダン・ヘンダーソンも右ウイングバックの選手ではない。
 ところがリヴァプールは、サンダーランドに3-1で勝利。以降の3試合(クリスタル・パレス戦、ニューカッスル戦、ウェスト・ブロム戦)も2勝1分けで乗り切り、4試合で12得点を叩き出す。しかもゴールを決めたのは、わずか3人の選手だった。スアレスは6点、スタリッジは毎試合1点ずつ記録して4点をあげ、ジェラードがPKから二度、ゴールネットを揺らしている。
 前シーズン、ロビン・ファン・ペルシを擁して優勝を収めたマンチェスター・ユナイテッドのように、リヴァプールは完全にセンターフォワードを軸としたチームに生まれ変わる。スアレスとスタリッジのコンビは、1994/95シーズンに活躍したブラックバーンのコンビ、アラン・シアラーとクリス・サットンにあやかって、SAS(スアレス・アンド・スタリッジ)というニックネームで呼ばれるようになった。
 だが本家本元のSASがそうであったように、スタリッジとスアレスは個人的に特に親しいわけではなかった。その理由も、かつてのSASと同じだった。2人の選手は、いずれもがチームの主役になりたがったのである。
 ちなみに両者がトレーニンググラウンドで最初に出会った際、スタリッジはスアレスに近づき、すぐにこう声をかけたという。
「一緒に組めば、なにかすごいことができるよね」
 このように台詞だけを見れば、さほど関係は悪くなかったような印象を受けるが、実情は異なる。スアレスが後に告白した内容は、真に迫っている。
「あの日のダニエル(スタリッジ)のように、新入りの選手があんなに図々しい態度をとるのは普通じゃない。だから一瞬こう思ったんだ。『こいつは一体、なんでこんなことを言ってくるんだ?』とね」
 ちなみにスアレスは、それでもスタリッジとは馬があったと主張したが、ジェラードは、より説得力に富む指摘をおこなっている。
「(リヴァプール版の)SASは、(かつてリヴァプールで活躍した)ジョン・トシャックとケヴィン・キーガンのようなコンビにはなっていなかった」。ジェラードは語っている。「スアレスとスタリッジは、才能のある『個』としてプレーした。ブレンダン(ロジャーズ)は、2人が一緒にハーモニーを奏でるデュオというよりも、ソリストが競り合っているようだと時々言っていたよ。
 2人がトレーニング中、話し込むような場面は一度もなかった……揉めたりはしなかったけど、どこかぎすぎすしていた。たぶんルイスの存在が、ダニエルにとって少し重荷になった試合もあったと思う」

■ スタリッジか、スアレスか
 とはいえ、このような状況はチームの得点力にほとんど影響を与えなかった。2人をフォワードに起用したことで、リヴァプールはボールを持った際には、相手と2対2の状況を作り出すことができたからである。現にスアレスは最終的に31点、スタリッジは21点を記録して、得点王ランキングの1位と2位に輝く。同じクラブに所属するストライカーが、上位2位を独占した初めてのケースとなった。
 ただし厳密に言えば、それでも2人は理想的なコンビではなかった。
 たとえば2013年の11月初め、アーセナルに0-2で敗れた試合などは典型だったと言える。
 リヴァプール側は攻撃的なサイドバックの背後を突くべく、センターバックとサイドバックの間に生まれるスペースに、しばしばロングボールを蹴り込んだ。
 だがアーセナルのローラン・コシールニーは見事に対応し、攻撃の芽を摘み続ける。試合中には、スアレスがコシールニーのマークを珍しくかわし、チャンスを作り出すシーンも一度だけ訪れた。だがスアレスはフリーになっているスタリッジにパスを出さず、山っ気を出して自らシュートを放ったため、得点は生まれなかった。この際、スタリッジは両腕を大きく広げてスアレスに抗議をしている。
 結局ロジャーズは、ハーフタイムにシステムを4-2-3-1に戻すことを決断する。以降、スリーバックは完全に封印されてしまった。
 ただし2人のセンターフォワードを巡る問題は、偶然に解消されることになる。
 スタリッジは12月の初めに踵を負傷。1ヶ月以上戦線を離れたため、スアレスが自然にメインストライカーに収まったのである。
 そこからのスアレスは、水を得た魚のようだった。わずか4試合で10 ゴールと3アシストを記録するなど、立て続けに圧巻のパフォーマンスを披露していく。試合によっては、もはや手が付けられなくなったこともある。12月5日におこなわれたノリッジ戦では4ゴールをあげたが、そのいずれもが非の打ち所のないシュートによって決められたものだった。
 当時のスアレスは大きなドリブルで敵をかわし、ワンツーから自分がゴールを狙うというパターンを繰り返していた。ピッチ上にいるチームメイトを、得点をアシストするための道具としか考えていないかのように映ることさえあった。
 やがて時間の経過とともに、2013/14シーズンのスアレスは、1997/98シーズンのデニス・ベルカンプ、2003/04シーズンのティエリ・アンリ、そして2007/08シーズンのクリスティアーノ・ロナウドに匹敵する存在になっていく。
 記録の面では、マイナス材料は2つしかなかった。
 1つ目は出場停止処分のために、シーズン最初の5試合を欠場したことである。この間、リヴァプールはスウォンジーに引き分け、サウサンプトンには敗れるなど、月並みな相手に5ポイントを取り損ねている。
 2つ目のマイナス材料は、ビッグチームからゴールをもぎ取る場面がなかったことである。上位4強に食い込んだ3チーム(マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナル)との直接対決では、ホーム、アウェーのいずれの試合でも1点も奪っていない。リヴァプールはシーズン全体で6敗を喫したが、このうち4試合は優勝を争うライバルに大一番で敗れたものだった。
 この事実をどう捉えるかは、大きな分かれ目となる。
 たとえばリヴァプールは2008/09シーズンも、あと一歩のところでタイトルに手が届かなかった。この際にネックとなったのは、上位陣との直接対決では勝負強さを発揮しながら、格下相手との試合できっちり勝ちきれなかったことだった。その原因の1つが、ベニテスの独特なチーム運営(強豪との試合に完全に的を絞る方法)にあったことは、すでに指摘したとおりである。
 逆に2013/14のリヴァプールは、下位チームから容赦なくスアレスがゴールを奪うものの、タイトル争いを繰り広げる上位陣に手を焼いている。
 むろん対戦相手が強くなればなるほど、得点を奪うのは難しくなる。だがスアレスの場合は、その傾向が極端だった。全20チーム中、16チームからは1試合あたり1・1ゴールを決めたのに対して、4強に入ったチームとの直接対決では1ゴールも奪うことができなかった。

■ジェラードが抱えていた密かな苦悩
 スアレスはチームの躍進を支える原動力となったが、冬が近づいていく中、リヴァプールでは別の選手絡みで、もっとも重要な戦術の進化が起きていた。キャプテンのジェラードである。
 ジェラードはオールラウンダーだが、中盤で与えられた攻撃的な役割を思うように全うすることができず、ひどく落ち込むようになっていた。事実、ジェラードは自分のプレーを分析してくれとロジャーズに依頼しつつ、チームの分析スタッフにもデータの提出を求めている。
 かくも名声の確立された選手が、周囲の人間に助言を求めるのはきわめて珍しい。ましてや傍目には、ジェラードが調子を落としているようには見えなかった。
 依頼を受けたロジャーズは深夜まで映像を分析し、翌日の午後に本人とミーティングをおこなっている。データで明らかになったのは、フィジカルの能力はいまだに衰えておらず、満足すべきレベルにあるというものだった。むしろロジャーズが指摘したのは、「ボールの受け方」についての問題だった。これこそがジェラードを悩ませていた問題だった。
「頭をきちんと動かせていないことは、すぐにわかったよ」。ジェラードは振り返っている。「この動作はとても大事なんだ。プレミアリーグでミッドフィルダーとしてプレーするためには、常に頭を動かしながらまわりを見て、背中に目がついているような状況にしておかなければならないからね。
 しかもこういうスキルは、自分が選手としてプレーし始めた頃よりもはるかに重要になった。今は中盤がものすごく混み合っているし、ボールをさばける時間がすごく減ってしまっている」
 この問題を解決すべく、ロジャーズとジェラードは、中盤のかなり深い位置にポジションを移すことを検討する。そうなれば、もっとスペースを確保できるようになるし、余裕を持ってボールをさばけるようになるからだ。
 ちなみにこのアイディアは、イタリアが誇るディープ・ライニング・プレーメイカー、アンドレア・ピルロに着想を得たものだった。ピルロは前年に開催されたEURO2012でも、イングランド相手に試合を牛耳ってみせたばかりだった。
 ところがジェラードは、その後ハムストリングを故障し、1ヶ月間試合に出場できなくなる。そこでキャプテンに起用されたのは、なんとスアレスだった。わずか4ヶ月前にはチームメイトと一緒にトレーニングすることさえ禁じられた選手が、名門クラブを率いることになったのである。
 しかもジェラード抜きのリヴァプールは、トッテナムに5-0で完勝を収める。ロジャーズはこの試合こそが、チームが成長する上での「分水嶺」になったと指摘していた。
 ただし実際には、クリスマス後から新年を迎えるまでの間に、チームはマンチェスター・シティとチェルシーに1-2で連敗している。年末にかけてもっともスケジュールが過密になる中、アウェーで立て続けに優勝争いのライバルと対戦したことは後々、大きく響いていく。
 リヴァプールは、元日におこなわれたハル・シティ戦を2-0で勝利したが、本当の意味で戦術的に重要な進化を遂げたのは、1月12日にアウェーでおこなわれたストーク戦からだった。
 この試合ではついにジェラードが復帰。PKから得点も決め、5-3の勝利に貢献している。だがジェラードが与えられたのは、なんとピルロと同じ役回りだったのである。
 たしかにロジャーズとの間ではすでに話し合いがなされていたとはいえ、この采配は大きな驚きを持って受け止められている。もともとジェラードに関しては、本来のポジションを離れてしまう癖があることが大きなネックになっていた。それが響き、リヴァプールでも単独で中盤の抑え役をこなしたことはなかった。
 ただし、この新たな戦術はストーク戦では奏効している。守備的なミッドフィルダー役に慣れていたルーカス・レイバが、逆に高い位置でジョーダン・ヘンダーソンと組み、ボックス・トゥ・ボックス型のミッドフィルダーとしてプレーする。その背後でスペースと時間を与えられたジェラードが、前方に対角線上のパスを供給する方式が機能したからである。
 ただしストーク戦は、ある意味ではリヴァプールを待ち構えている運命を予感させるものともなった。ジェラードが深い位置まで下がり、ディープ・ライニング・プレーメイカーを務めるようになった結果、チームは以前にも増して縦方向へのスリリングな攻撃を展開できるようになる。だがそれと引き換えに、守備の面では少なからぬリスクを抱え始めたのだった。

■ 生まれ変わったチーム戦術
 生まれ変わったリヴァプールは、2月に入ると圧巻のパフォーマンスを発揮する。
 2月2日におこなわれたウェスト・ブロム戦こそ1-1で引き分けたものの、翌週、アーセナルをホームに迎えた試合では、獰猛なまでの攻撃を展開して5-1と圧勝している。当時、アーセナルはプレミアリーグで首位に立っていただけに、この結果は大きな反響を呼んだ。
 まずマルティン・シュクルテルがセットプレーから2点を奪うと、さらに波状攻撃を展開。快速を誇る若きウインガー、ラヒーム・スターリングがカウンターからネットを揺らし、スタリッジも速攻からゴールを奪う。こうしてリヴァプールはわずか開始20分で、試合を4-0でリードしたのである。
 もちろんスアレスも、縦横無尽に攻撃に絡みながら、驚異的なプレーを披露している。ペナルティエリアの外から強烈なボレーシュートを放ち、ゴールポストを直撃する場面もあった。あいにくスアレスはゴールを決めることができなかったが、後半にはスタリッジがダメ押しとなる5点目を奪っている。
 対するアーセナルは、ミケル・アルテタがPKから1点を返しただけに留まる。
 だが、その原因を作ったのはジェラードだった。アレックス・オックスレイド=チェンバレンがペナルティエリアに侵入してきた際、パスをカットしようとして足をかけてしまったのである。
 ジェラードに守備のスキルが欠けていることを浮き彫りにしたこのシーンは、圧巻とも言える試合内容で唯一のマイナス材料となった。
 ただしジェラード絡みでは、実は前回のホームゲームでも似たような光景が見られた。
 1月末、リヴァプールはエヴァートンと対戦し、地元のライバルチームを4-0で圧倒している。
 ところがジェラードは、自らの役割をうまくこなしきれなかった。ディフェンスラインの前方で孤立しただけでなく、ワイドに開いた選手が内側に流れてくると簡単におびき出され、相手の10番であるロス・バークリーにスペースを突かれている。
 ただし、このプレーは幸いにして失点につながっていない。またジェラードは深い位置で攻撃の起点になり、チームの大量点をお膳立てしたために、守備で抱える不安要素には、あまり注意が払われなかった。
 ちなみに2月初めの時点では、リヴァプールはいまだにダークホースの域を脱していない。エヴァートン戦とアーセナル戦で大勝したにもかかわらず、プレミアリーグで4位に留まっていた。
 だがチームには、きわめて重要な変化が起きていた。当初、ロジャーズが掲げたようなビジョンとは、まったく別物のサッカーを展開するようになっていたのである。
 ロジャーズはポゼッションサッカーを標榜していたが、ボールを長くキープし続けるようなプレースタイルは結局、具現化しなかった。
 それどころか当時のチームは、きわめてダイレクトなカウンターアタックを展開する際にこそ、もっとも力を発揮できる集団へ変貌していた。これを支えたのがスアレス、スタリッジ、そしてスターリングのスピードである。SAS改めSASAS(スアレス&スタリッジ&スターリング)とも呼べるようなフォワードのトリオは、相手のディフェンスを突破して一気にゴールを狙うことができた。その最たる例となったのが、アーセナル戦である。
 一方、中盤ではミッドフィルダーたちが攻撃陣と連動しながら、アグレッシブにプレッシングを展開していた。アーセナルのメスト・エジルなどは二度もボールを奪われ、スターリングとスタリッジにゴールを奪われる原因を作っている。
 このようなアプローチは、ジェラードの前方に構えるヘンダーソンのプレースタイルにも合致していた。ヘンダーソンはボックス・トゥ・ボックス型のミッドフィルダーとして、精力的にプレッシングをかけながら、一気に攻撃に参加するようになっている。
 ロジャーズはこの時期、大半の試合で4-3-3のシステムを採用していた。これはスタリッジかスアレスのいずれかが、ワイドに開いたポジションで起用されることを意味した。
 ロジャーズは対戦相手の守備陣を分析した上で、両者の役割を決めている。ほとんどの場合は、もっとも足の遅いディフェンダーに、スタリッジをマッチアップさせる方法を選んだ。
 サイドのポジションを活用する方法には、スタリッジとスアレスの双方に出場機会を与えられるというメリットもある。だが、これは危険な綱渡りでもあった。
「2、3試合ならウイングをやってもいいけど、4試合目も同じポジションになったらイライラするだろうな」。スアレスは認めている。「ブレンダン(ロジャーズ)は自分とダニエル(スタリッジ)の両方が、しっくりプレーできるようなシステムを探していたんだ。特定の戦術のためだけじゃなくて、いい選手を気持ちよくプレーさせるために戦術を決めることもあるからね」

 その意味でロジャーズ指揮下のリヴァプールには、カルロ・アンチェロッティ時代のチェルシーに通じるものがあった。
 アンチェロッティは、組織的にプレーできるか否かで先発メンバーを決めつつ、ベテランの選手に出場機会を与えることも重視した。ロジャーズも然り。スアレスとスタリッジはワイドに起用された場合でも、相手のサイドバックを追走する義務を免除されていた。むしろチームがすぐにカウンターを展開できるように、敵陣のスペースに残り、パスコースを確保することが求められていたのである。

■ リヴァプールが体現していた巨大な変化
 リヴァプールで見られた戦術の進化は、ヨーロッパ大陸側のトレンドとも符合していた。ポゼッションサッカーの終焉である。
 たとえばバルセロナはラ・リーガとチャンピオンズリーグの双方において、カウンターアタックを武器にしたアトレティコ・マドリーに足下をすくわれていた。
 片やペップ・グアルディオラ率いるバイエルン・ミュンヘンは、ボールポゼッションをベースにしたスタイルを追求していたものの、やはりチャンピオンズリーグで苦杯をなめた。ダイレクトなサッカーをするレアル・マドリーに、2戦合計で0-5と完膚なきまでに叩きのめされている。
 結果、ティキ・タカの人気は下火になっていく。
 この種の変化が、イングランドでもっとも顕著に起きたのがリヴァプールだった。ロジャーズはポゼッションサッカーを突如として破棄し、よりダイレクトにゴールを狙うスタイルへ舵を切ったからである。
 リヴァプールはまったく異質なチームへと変貌。ボール支配率に関するデータはさほど重要視されなくなり、プレミアリーグの中でもっとも多くのタックルをおこない、もっとも多くの得点をカウンターアタックから決めるようになる。その意味でリヴァプールは、「ポスト・ボールポゼッション時代のサッカー」をライバルに先駆けて実践していた。これはロジャーズ自身の成長も意味した。リアクション型の戦術へと一気に傾斜していくのと同時に、彼は戦術家として研ぎ澄まされていったと言える。
 しかもロジャーズには別の追い風も吹いていた。リヴァプールはヨーロッパの大会に参戦しておらず、カップ戦でもシーズンを通して5試合(FAカップが3試合、リーグカップが2試合)をおこなうに留まる。ロジャーズはこの大きなアドバンテージを活かし、次の試合の対戦相手を想定して戦術を練り上げながら、一週間のトレーニングセッションを組んでいけるようになった。
 一般的にサッカー選手たちは、次の試合のことをあまり早くから意識するのを嫌うが、ロジャーズは火曜日の時点から考え抜かれたメニューを選手に課した。目的をすぐに明かさず、まずはスルーパスの出し方や、中盤の選手たちがフォワードを越えてオーバーラップしていくような基本パターンを教え込む。
 そのうえで木曜日と金曜日になると、今度は具体的な指示を与える。たとえば、対戦相手のミッドフィルダーはボールをきちんと追走しないだけでなく、ディフェンスラインも高過ぎるということが判明すれば、そこを突いていく策が授けられた。
 このクレバーな方法は、週の半ばに試合が組まれていなかったからこそ可能になったものだった。さらにロジャーズは練習時間を延長し、セットプレーにも精力的に磨きをかけるようになった。
 事実、リヴァプールはセットプレーからコンスタントに先制点を決め始める。こうすれば相手は攻撃を仕掛けてこざるを得ないし、そこをさらにカウンターアタックで狙うパターンも生まれてくる。特にジェラードは正確なキック力を活かして、セットプレーから26ものゴールをお膳立てした。この記録はプレミアリーグで最多となり、平均記録を2倍以上も上回った。

■「今回こそは、俺たちを信じてくれ」
 5-1でアーセナルに大勝した時点に話を戻そう。
 この分水嶺とも言える試合を皮切りに、リヴァプールはなんと11連勝を記録し、4位から一気に1位へとジャンプアップする。
 ロジャーズの研ぎ澄まされた戦術、深い位置から攻撃を組み立てていくジェラードのプレー、中盤におけるアグレッシブなプレッシング、ダイナミックな攻撃と得点ランキングをリードする2人の点取り屋が組み合わさった結果、リヴァプールは誰にも止められないチームとなった。
 当時のリヴァプールは、1995/96シーズンのニューカッスル以上に、攻撃的なサッカーを体現していた。ケヴィン・キーガンが率いたニューカッスルは、実際には得失点のいずれもが驚くほど少なかった。これに対して11連勝中のリヴァプールは4-3、6-3、そして3-2の勝利が3回と、派手な打ち合いを演じていた。しかも11試合中9試合で3点以上を奪うなど、波状攻撃を容赦なく仕掛けて徹底的に対戦チームを叩きのめし続けた。
 2014年4月13日、リヴァプールはマンチェスター・シティに3-2で勝利し、10勝目を記録する。
 事実上の優勝決定戦かと目されたこの試合は、プレミアリーグの歴史に燦然と輝く最高の一戦になったと見て間違いないだろう。ちなみに従来は1995/96シーズン、ニューカッスルがリヴァプール相手に演じた4-3の打ち合いがベストゲームだと考えられていた。だがロジャーズ率いるチームはこれを上回る熱闘を演じ、再びニューカッスルのお株を奪ったのである。
 リヴァプール対シティの試合も、一瞬たりとも目を離せない展開となった。プレーのインテンシティは信じられないほど高く、最初から最後までアクションが連続している。
 さらに述べれば、この試合にはドラマチックな伏線も用意されていた。
 試合に先立ち、アンフィールドではヒルズボロの悲劇を弔うセレモニーがおこなわれる(1989年におこなわれたFAカップの準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦において、試合会場となったシェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで96人ものファンが圧死した事件)。
 毎年、セレモニーがおこなわれる際には、スタジアムが常に厳粛な空気に包まれるが、2014年は特に感傷的なムードが漂っていた。悲劇からちょうど25周年に当たるだけでなく、長年にわたる遺族の活動が認められ、事故の真相を究明するための調査が、2週間ほど前から開始されていたからである。
 後にこの調査では、96人もの人々が命を落とす原因を招いたのが、試合を警備した地元当局の不手際だったことが明らかになっている。
 同じ週末に開催されるプレミアリーグの試合は、すべて午後3時6分、ヒルズボロでおこなわれた試合が中断された時刻にスタートすることになっていた。また悲劇から25周年の節目に、初のプレミアリーグ制覇に挑んでいるという状況も場内のムードを盛り上げた。
 事実、慰霊のセレモニーに立ち会ったリヴァプールのファンは、「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」を熱唱した後、すぐに別のチャントを合唱している。その内容は「今回こそは、俺たちを信じてくれ。俺たちはリーグで勝つぞ!」というものだった。2013/14シーズンの途中からは、こんな歌詞が口ずさまれていた。
 リヴァプールのサポーターは、優勝を確信するようになっていた。アンフィールドで試合がおこなわれる際には選手を乗せたバスを大合唱で迎え、まるでパレードのような雰囲気を醸し出すのが恒例になっていたのである。
 試合そのものも特筆すべきものとなった。
 大一番に臨むに当たり、ロジャーズは中盤がダイヤモンド型の4-4-2を採用し、スターリングをその頂点に配置。スアレスとスタリッジが、サイドバックとセンターバックの間に走り込むことで生まれるスペースを突いて攻撃を仕掛けろと指示している。この策はずばりと当たり、スターリングは試合開始から6分に先制点を奪っている。さらに20分後には、シュクルテルがセットプレーからまたもやネットを揺らし、リードを2-0に広げた。
 ただしSASのコンビは、意外なほど鳴りを潜めていた。
 シティの両サイドバックは背後のスペースを突かれることを恐れ、ラインを押し上げようとしなかったためである。
 またスアレスとスタリッジは、どちらも右サイドに寄ってプレーをしていた。シティの左側のセンターバック、マルティン・デミティエリスのスピードがないことにつけ込もうとしたわけだが、大部分は失敗に終わっている。むしろ実際には、右側のセンターバックを務めていたコンパニのほうが狙い目だった。
 コンパニは試合をこなせるだけの体力が戻っておらず、スターリングが先制点をあげた際にも追走することができなかった。またシュクルテルが2点目を追加した際にも、相手に振り切られてしまっている。
 しかもヤヤ・トゥーレが故障のために交代を余儀なくされるなど、シティ側は序盤から苦戦を余儀なくされた。

■ 「ここで転けるわけにはいかねえんだ!」
 だがシティの監督であるマヌエル・ペレグリーニは、ハーフタイムにジェームズ・ミルナーを投入し、試合の流れを変えていく。
 リヴァプールのように中盤をダイヤモンド型に組んだ場合には、どうしても横方向の広がりを確保するのが難しくなる。ミルナーはこれを踏まえて、右サイドから突破を試みた。
 さらに後半には、ダビド・シルバもすばらしいパフォーマンスでピッチ上に君臨。ゲームを一手に仕切っていく。
 そのシルバとマッチアップしたのが、ジェラードだった。ジェラードはシルバとの間合いをうまく詰められなかっただけでなく、同僚のミッドフィルダーからもほとんどサポートを受けられなかった。
 とはいえ、これはさほど驚くべきことではない。
 そもそもジェラードは深く下がったポジションに不慣れだったし、ダイヤモンドの両サイドに配置されたヘンダーソンとコウチーニョは、ボックス・トゥ・ボックス型のミッドフィルダーと10番タイプの選手である。また中盤の頂点に起用されたスターリングは、本来ウイングの選手だった。
 中盤をこのように攻撃的な選手だけで構成すれば、シルバの動きを防ぎきれなくなるのは容易に予想できた。現にシルバは横に流れていったかと思えば一気に前方に進み、さらにはクレバーなパスをラインの間に出すなど、変幻自在なプレーで相手を翻弄していく。
 そこで明らかになったのが、ジェラードの適性の問題だった。もともとジェラードが守備のスキルに欠けていることは、数週間前から不安材料としてくすぶり続けてきた。その大きな問題が、ついに露呈したのである。
 シティの攻撃を牽引するようになったシルバは、チームがあげた2得点に絡んでいる。まずミルナーからの折り返しを、スライディングしながらゴールに流し込むと、今度は自らがチームメイトに折り返しのパスを出す。これがリヴァプールのサイドバックであるグレン・ジョンソンにあたり、オウンゴールを誘った。
 2-2の同点に追い付いたシティは、さらに3点目を狙う。現に後半には、シルバがセルヒオ・アグエロのグラウンダーのクロスに合わせて、再びゴール前にスライディングする場面も見られた。だが小柄なシルバの足はボールに届かず、リヴァプールはかろうじて難を逃れている。
 逆にリヴァプールは守勢に回っていたにもかかわらず、試合の流れに反して貴重なゴールを手にする。シティのキャプテンであるコンパニが単純なクリアをミスすると、コウチーニョはすかさずボールを拾い、ゴール右隅に鮮やかに流し込んだのである。こうしてリヴァプールは3-2で大一番を制した。
 ドラマチックな試合を、ドラマチックな形で勝利したリヴァプールは、悲願の優勝へ向かって大きく前進する。試合後に見られたシーンも、実にドラマチックなものだった。
 ホイッスルが鳴った瞬間、ジェラードは思わず男泣きをしている。やがて彼のまわりにはチームメイトたちが集まり、ピッチ上で円陣が組まれた。ジェラードはこみ上げるものを抑えながら、同僚に檄を飛ばしている。
「いいか、この勢いで突っ走るぞ! ここで転けるわけにはいかねえんだ! この試合はもう終わった。次はノリッジでまた絶対に勝つ!」。ジェラードはこう叫びながら、拳を手のひらに叩きつけた。「もう1回いくぞ!」
 実際、アウェーのノリッジ戦は、良くも悪くもシティ戦と似たような展開になった。
 リヴァプールは試合開始直後からスタートダッシュし、10分ほど経った頃にはスターリングとスアレスのゴールで2-0と優位に立つ。ところが相手に追いすがられ、最後の15分間はビクビクしながら、3-2のリードを守る形になった。
 ちなみにスタリッジが故障を抱えていただけでなく、ヘンダーソンもシティ戦の終盤にレッドカードを受けて退場処分になっていたため、ロジャーズはいつもとは異なる陣形で試合に臨んでいる。
 本来はシティ戦と同じように、ダイヤモンド型の4-4-2を採用しようとしていたが、ノリッジの監督であるニール・アダムスも同じ布陣を敷いてくることを見抜いたため、きわめて珍しい4-1-3-1-1のシステムに移行している。ジェラード、ルーカス、アレン、スターリングの4人をダイヤモンド型に配置した上で、中央にコウチーニョを据えたのである。ロジャーズが狙ったのは中盤を支配すべく、5対4の数的優位を作りだすことだった。
 これは10年ほど前、チェルシーのユースチームに携わっていた頃の経験をもとにしたものだった。南米のチームと対戦した際、敵の監督が採用した独特な陣形を、ロジャーズは覚えていたのである。

■ 潰え去った優勝の夢
 かくして巡ってきたのが運命の一戦、チェルシーとのホームゲームである。
 この時点でリーグ戦は3試合残っていたが、リヴァプールはチェルシーに5ポイント差を付けて首位をキープしていた。タイトルを狙う上では、引き分ければ十分だった。一方のチェルシーは実質的に優勝を諦めており、むしろ3日後に控えたチャンピオンズリーグの準決勝、アトレティコ・マドリー戦にフォーカスしていた。
 現にモウリーニョは、主力の先発11人の大部分を休ませるという驚くべき選択をしている。ジョン・テリー、ギャリー・ケーヒル、ダヴィド・ルイス、ラミレス、ウィリアン、エデン・アザール、フェルナンド・トーレスを、3日後の試合のために温存したのである。
 ちなみにリヴァプール戦でもアトレティコ・マドリー戦でも先発したのは、マーク・シュウォーツァー、セサル・アスピリクエタ、ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチ、アシュリー・コールの5名に留まる。リヴァプール戦の陣容は実質的に2軍であり、大一番に水を差す格好となった。
 さらにモウリーニョはチェコ人のセンターバック、トマーシュ・カラスまで起用していた。カラスは同シーズン、プレミアリーグの試合に1分も出場したことがなかったにもかかわらずである。2週間前、チェコのテレビ局に取材を受けた際には、カラスはこんなジョークまで飛ばしていた。
「僕はトレーニング要員なんだ。練習用のコーンが必要な時には、僕を代わりに置くのさ」
 これらの事実からもわかるように、チェルシーには攻撃するつもりなど毛頭なかったし、露骨なまでに消極的な戦い方をしてきた。
 結果、リヴァプールの攻撃陣はいつものように、敵のディフェンダーの裏を狙うことができなくなってしまう。ロジャーズは後に、相手がゴール前に「2台のバスを停めた」とこぼしている。モウリーニョはまたしても、自分がイングランドサッカー界に紹介した単語で批判される形になった。
 とはいえリヴァプール側にとっては、何ら問題にはならないはずだった。チェルシー戦は引き分けで十分だったからである。
 ところが、ここにこそ最大の問題が潜んでいた。当時のリヴァプールは、勝ち点1を確実に狙えるようなチームではなかったからだ。ロジャーズがアーセナル戦を境に作り上げてきたチームは、試合が始まった瞬間から全力で攻撃を仕掛け、常に打ち合いに持ち込むような試合展開を特徴としていた。
 ジェラードは、チームが抱える密かな問題に感付いていたという。
「チェルシー戦にどういうゲームプランで臨むのか、自分は不安を感じていた」。彼は自伝で告白している。「公の場所ではこれまで話せなかったけど、僕は自分たちがチェルシーをぶちのめせると考えていること自体を本気で心配していた。(全員が)自信過剰になっていることは、ブレンダンのチームトークからも伝わってきた。彼はこっちが積極的に出ていって、チェルシーを攻撃できると思い込んでいた。マンチェスター・シティやノリッジを相手にした時のようにね。(でも振り返ってみれば)自分たちは、モウリーニョの術中にはまっていた。自分が不安を感じたのは、間違っていなかったんだ」
 リヴァプール側では、ヘンダーソンの出場停止処分が明けておらず、スタリッジもかろうじてベンチに入れる程度のコンディションだった。このためロジャーズは4-3-3と4-3-2-1をかけ合わせたようなシステムを選択し、スターリングとコウチーニョが、両ワイドから人が密集した中央へ流れていく方式を採った。
 またサイドバックのグレン・ジョンソンと若手のジョン・フラナガンに対しては、いつもよりも慎重にプレーするように命じている。これはおそらくロジャーズが、より守備的にプレーしなければならないことを自覚していたためだろう。ましてやチェルシー側も守備的な戦い方をしていたため、リヴァプールはサイドからの相手を崩す攻撃がほとんど展開できなくなった。
 試合の前半はまったく何も起きなかったが、アディショナルタイムに勝負の流れを決定づける場面が訪れる。そこに絡んでいたのはジェラードだった。
 もともとジェラードは1週間、背中の激痛に苦しめられており、この試合もすんでのところで欠場しかけている。痛み止めを何錠も飲み、許容範囲ぎりぎりの強い痛み止めの注射を何本も打って、ようやくピッチに立っていた。
 そんなジェラードを悲劇が襲う。
 前半終了間際、リヴァプールの両センターバックが大きく開いたため、ジェラードは一時的にスリーバックの中央に位置するようなポジションを取った。左側のセンターバックに起用されていたママドゥ・サコーは、これを踏まえてごく普通の横パスを出す。
 ところが次の瞬間、ジェラードは足を滑らせてボールを受け損ねてしまう。こうしてボールはチェルシーのデンバ・バに渡り、ゴールを決められたのだった。

■2つの皮肉な巡り合わせ
 ただし、これはジェラードが単に足を滑らせたというような問題ではない。実際に起きたことは、もっと複雑に入り組んでいる。
 まずジェラードは足を滑らせる前に、1つ目のミスを犯していた。パスを受けようとする直前、ボールから一瞬目を離したことである。
 そもそもボールを受ける前に、ジェラードはすでに2回、顔を上げていた。自分が次に出すパスコースと、デンバ・バのポジションを確認するためである。そして結果的には、もう一度顔を上げたことが命取りになった。
「自分はボールよりも、デンバ・バに気を取られてしまった」。本人は認めている。
 トラップをミスしたジェラードは、なんとかしてボールを奪い返そうと死に物狂いになる。だが、そこで2つ目のミスを犯す。気ばかり焦ったために足を滑らせ、デンバ・バを追走することさえできなかった。
 このシーンは実に皮肉だった。
 まずジェラードは、事実上の優勝決定戦かと思われたシティ戦を終えた直後、こう大声で檄を飛ばしている。「ここで転けるわけにはいかねえんだ!」
 まるで映画のシナリオのようにでき過ぎた話だが、実際にはジェラード自身が足を滑らせ、致命的な失点を被ることになった。
 しかも致命的なミスは、必死の努力が仇になって生まれている。
 そもそもジェラードが中盤の深い位置でプレーするようになったのは、自分の空間認識能力に衰えを感じ始めたからだった。現にジェラードはチェルシー戦でも、必死に首を動かしながら、周囲の状況を把握しようとしていた。それが裏目に出て、プレミアリーグ史上、もっとも高くついたミスが生まれてしまったのである。
 迎えたハーフタイム、ロジャーズは配下の選手たちに対して、ジェラードがこれまでチームを幾度となく救ってきたことを指摘し、今度は自分たちが恩返しをする番だと念押ししている。
 ところがリヴァプールの選手たちは、カウンターからスペースを突く方法に慣れ過ぎてしまっていた。このためチェルシー戦の後半は、チームメイトが存在感を発揮したというよりも、ジェラードが自身のミスを必死に取り返そうとする場面が印象に残る内容となってしまう。ジェラードは後半、8本ものシュートをおもにロングレンジから打っているが、同点に追い付くことは叶わなかった。ジェラードは例によって、自分自身のプレーをかなり厳しく評している。
「前に向かって走り過ぎていたし、入りっこないアングルからシュートを打とうとしていた」
 とはいえ冷静に見るならば、得点の可能性を感じさせるような攻撃の手段がほとんど残されていなかったのも事実である。選手たちは深く引いて守る相手を崩す方法がわからず、戸惑っているように見える場面もあった。スタリッジとスアレスは、危険なポジションでボールを受け取ることさえできなかった。
 ちなみにスアレスは、チェルシーのとあるディフェンダーに対して、どうしてそんなに守備的なプレーをするのかと直接、質問したという。これもまたリヴァプールというチームが抱えていた、ある種のナイーブさを浮き彫りにしている。
 スターリングにも、ドリブルを展開するスペースはまったく与えられなかった。フォワードが単純に機能しないため、リヴァプールの選手たちはクロスを放り込まざるを得なくなる。しかも相手は異様なほど深く引いて守っているため、単調な攻撃が続けば続くほど、モウリーニョの術中に陥ってしまう形になった。
 それを考えれば、積極的にロングシュートを狙っていくのは理にかなっていた。だがジェラードのプレーは、「模範を示してチームを率いる」というものから、「なんでもかんでも自分でやろうとする」という、かつての批判を連想させるようなものになっていた面も否定できない。
 後半のアディショナルタイム、チェルシーは逆にカウンターからリードを広げる。発端となったのは、交代出場したフォワードのイアゴ・アスパスが、お粗末なクロスを入れたことだった。
 リヴァプールのかつての英雄だったトーレスが前方に抜け出し、キーパーの直前でボールをサイドに叩く。前年の夏、ジェラードがチームに招き寄せようとしたウイリアンがこれを受け、最後は歩くようなスピードでゴールを決めている。
 こうしてリヴァプールは、致命的な敗北を喫した。
「チェルシーの勝利を讃えたいと思う」。ロジャーズは試合後に述べている。「おそらく彼らは引き分け狙いできたのだろうが、われわれは勝ちにいこうとした」
 このコメントはひどく的はずれなものに響いた。チェルシーが引き分け狙いで試合に臨んでいたとするなら、リヴァプールはそのチャンスを活かし、確実に引き分けに持ち込むべきだった。
 マンチェスター・シティはその日の遅く、クリスタルパレスに2-0で勝利し、翌週にはエヴァートンも3-2で降す。この結果、リヴァプールとマンチェスター・シティは2試合を残して、どちらも勝ち点80で並ぶ形になる。だが状況的には、得失点差で9点もの差をつけていたシティが、明らかに優位に立っていた。

■ 史上最大のスペクタクル
 2014年5月5日、リヴァプールはアウェーでクリスタル・パレス戦に臨む。ちなみにジェラードは失意に終わったチェルシー戦の後、モナコにしばらく滞在したことを認めている。わざわざモナコを選んだのは、以前に一度だけ訪れた際、街中に人っ子一人いなかったことを覚えていたからだった。
 だがクリスタル・パレス戦でのプレーは、失意を微塵も感じさせないものだった。
 まずはコーナーキックの場面で、ジョー・アレンのヘディングシュートをアシスト。次には新たな持ち場となった深いポジションから、いつものように対角線上の長いパスを供給し、スタリッジの2点目をお膳立てしている。さらに55分過ぎには、スアレスが絵に描いたようなワンツーをスターリングとかわし、追加点をもぎ取る。これで得点は3-0となった。
「俺たちは相手をなぶり殺しにしていた。自分は6-0で勝てると素直に思っていたんだ」。ジェラードは試合後に語っている。
 このようなムードが共有されていたことは、スアレスがゴールネットの中からボールを拾い上げ、すぐにセンターラインまで持ち帰ったことからもううかがえる。リヴァプールの選手たちは2試合で、マンチェスター・シティとの得失点差9を帳消しにできると信じていたのである。
「どうしてかわからないけど、マンチェスター・シティとの得失点差を埋めることは無理じゃないように思えたんだ」。スアレスは後に振り返っている。「自分たちの頭の中にあったのはそのことだけだった。ゴール、ゴール、ゴール……本当にできると思っていたんだよ」
 一見すると非現実的なように思えるが、これはそれほど馬鹿げたシナリオではなかった。リヴァプールはそれまでの12試合で11勝を収めていたし、カーディフからは6点、アーセナルからは5点、トッテナムとスウォンジーからは4点を奪っている。
 ましてやシーズンの最終節は、アンフィールドにニューカッスルを迎えることになっていた。アラン・パーデュー率いるニューカッスルは、シーズン後半戦にチームが完全に崩壊。14試合で11敗を喫していたし、そのうちの10試合は無得点に終わっていた。またこの間には、トッテナム、サウサンプトン、マンチェスター・ユナイテッドに0-4で大敗。サンダーランド、チェルシー、エヴァートン、そしてアーセナルにも0-3で完敗するなど、救いようのない状態に陥っていた。
 むろん、リヴァプールが得失点差で逆転を狙おうとするならば、ニューカッスル戦で二桁のゴールを決めなければならなくなる可能性が、きわめて高かった。このような試合は、プレミアリーグでは過去に実現したことがない。
 だがニューカッスル戦では、プレミアリーグ史上、もっとも多くのゴールが生まれる条件も整っていた。
 まずリヴァプールは獰猛なまでの攻撃力を誇っていた。現にシーズン中には、首位を走っていたアーセナルから、20分間で4ゴールを奪ったことさえある。
 さらにチームは得点王ランキングで1位と2位につけている点取り屋を擁していたし、ゴールを奪うことだけをひたすら考えていた。おそらく当時のリヴァプールほど、大量点をもぎ取ることに意欲を燃やしていたチームは、存在しなかっただろう。
 片やニューカッスルは、もはやチームの体をなしていない。リヴァプールの選手たちは明らかに大勝できると信じていたし、最終節はかつてない見ものになるはずだった。

■ リヴァプールの夢を打ち砕いたもの
 ところが、この史上最大のショーは実現しなかった。ニューカッスルとの決戦に挑むどころか、リヴァプールはクリスタル・パレス戦で自滅したからである。
 途中までは3-0でリードしていたものの、さらに多くゴールを奪おうとして前がかりになり過ぎた結果、ピッチの後方はがら空きになってしまう。かくして最後の約10分間で立て続けに3点を奪われ、引き分けに持ち込まれたのだった。
 試合が終了した瞬間、スアレスは気の毒なほど悲嘆に暮れた。ジェラードは必死に慰めようとしたが、スアレスは頭からユニフォームを被って顔を隠し、セルハースト・パークの角に設置された選手用のトンネルまで、涙をこぼしながらとぼとぼと歩いていった。対照的にシティは最後の2試合を順当に勝利し、シーズン最終日に二度目のプレミアリーグ制覇を達成することになる。
 リヴァプールの夢はこうして潰えた。
 その原因がどこにあるのかは、誰の目にも明らかだった。
 たしかに最終日のニューカッスル戦までタイトル争いが持ち越されれば、歴史に残る一大スペクタクルが展開されていただろう。
 だがロジャーズや選手たちは、まずクリスタルパレス戦で確実に勝利することを目標に据えるべきだった。むろんシティは最後の2試合で、ホームにアストン・ヴィラとウェストハム―デイヴィッド・キャメロン首相が贔屓にしているチームを迎える予定になっていた。番狂わせが起きる可能性はきわめて低かったし、最終的にリヴァプールとシティの得失点差が埋まらないことも十分に考えられた。
 とはいえ勝ち星を積み上げることは、相手を精神的に揺さぶることにもつながる。ましてやシティは、必ずしも勝負強くないチームとしても知られていた。
 現にプレミアリーグを制した2年前には、最終節のQPR戦で命拾いをしたし、前年のFAカップ決勝では降格したウィガンに敗れている。
 ところがリヴァプールは、逆に敵に塩を送っている。勝てるはずの試合を落とし、相手をプレッシャーから解放してしまう形になった。
 リヴァプールが抱えていた最大の問題とは、戦術的なナイーブさではない。むしろ、より根本的な目標設定に関するものだった。
 シティ戦では引き分けで十分だったにもかかわらず勝ちにいき、よもやの敗戦を喫してしまう。そしてクリスタル・パレス戦ではさらに多くのゴールを奪おうとした結果、得失点差よりも重要な勝ち星そのものを落としている。
 ブレンダン・ロジャーズは本来、ゴールを狙うよりもボール支配率を高め、試合をコントロールしていくスタイルを理想に掲げていた。だがリヴァプールはシーズン途中から、凄まじい攻撃を全員で繰り出すチームに変貌。ポストプレッシング時代の戦術進化を象徴するチームにまで成り上がった。
 だがその代償は、あまりにも大きかった。選手たちは試合を冷静にコントロールしていくスタイルに回帰できなかったからである。この不可逆的な変化こそが、彼らの夢を打ち砕いたのである。