立ち読みコーナー
目次
640ページ
登場人物紹介
キャライアピ(キャリー)・ワーシントン       ワーシントン家の長女
ローレンス(レン)・ポーター            元諜報員
ヘンリー・ネルソン                 レンの遠い親戚
ベトリス・ネルソン                 ヘンリーの妻
バトン                       仕立屋
カボット                      バトンの助手
アンウィン                     食料品屋の息子
サイモン・レインズ                 諜報員
アガサ・レインズ                  サイモンの妻
アーキミーディーズ(アーチー)・ワーシントン    キャリーの父親
アイリス・ワーシントン               キャリーの母親
デダラス(デイド)・ワーシントン          キャリーの兄
オライオン(リオン)・ワーシントン         キャリーの弟
ライサンダー(ザンダー)・ワーシントン       キャリーの弟
キャスター(キャス)・ワーシントン         キャリーの弟
ポラックス(ポル)・ワーシントン          キャリーの弟
エレクトラ(エリー)・ワーシントン         キャリーの妹
アタランタ(アティ)・ワーシントン         キャリーの妹
ポピー                       キャリーのおば
クレメンタイン(クレミー)             キャリーのおば
ティーガー                     村の便利屋
21ページ~
 キャリーの体が蝋燭の光をさえぎっているため男の半身は陰になっていて、片方の目と、斜めになった片方の頬骨の線と、彫刻のような線を描く片方の顎しか見えない。濃い色の長い髪が髭(ひげ)の伸びた頬に垂れ、かすかに常軌を逸した光を放っている暗い色の目以外のすべてを隠している。
 ハンサムで危険な男だ。悪魔がこんなに美しいなんて知らなかった。
 キャリーは熱を帯びた強い視線にとらわれて動けず、口を覆っている手を通して無理やり叫ぼうとも思わなかった。やがて口から手が滑り落ちて、彼女の喉を緩やかに覆った。キャリーは恐怖を感じながらも、手のひらから伝わってくるあたたかさに緊張が緩んだ。
 男がもう一方の手を腕に滑らせて、ダイヤモンドのブレスレットを外した。彼はキャリーの体の前に腕をまわして宝石箱にブレスレットを入れようとした。その途中で筋肉質の腕に硬くなった胸の頂をこすられ、キャリーは息をのんだ。思いがけない接触に体じゅうに衝撃が走る。
 こんな場所に触れられたことは、これまで一度もなかった。ただの一度も。
 そしてこれから先もない。わたしの花の盛りはすでに過ぎている。この先に待っているのは行き遅れの人生だ。
 男はキャリーの体の前で腕を止め、しばらく固まっていたが、やがてゆっくりと腕を戻していった。彼の着ている上質な白いシャツの袖が紙のように薄いシュミーズの生地を引っ張り、繊細な部分に生地が食いこんで痛みが走る。
 キャリーの喉から声がもれた。恐怖とショックと初めて呼び覚まされた感覚に対する驚きが体の中で渦巻く。
 こんなことは初めてだ。
 体が震えだして、止めようとしても止まらない。男が腕を落とし、キャリーの視界から消える。キャリーはきつく目をつぶった。
 彼は宝石を取り戻そうとしているだけだ。わたしに何かをするつもりはないはずだ。
「生娘が登場する幻覚か。いつもとは違うが、異議を唱えてもしかたがないな」男はまるでキャリーがそこにいないかのように、ぶつぶつとしゃべっている。
「さて、これからどうする。生娘を誘惑するのか? それとも彼女にぼくを求めさせるのか? だがそいつは無理だな。紫の犬をつかまえるより難しい……」
 キャリーはますますきつく目をつぶった。キャリーが誘惑されたがっていると彼は思っているのだろうか。だが自分の屋敷にびしょ濡れで下着しか身につけていない若い女がいるのを見つけたら、どんな男でもそう思うだろう。キャリーは悲鳴をあげられないまま、恐怖がふくれあがって喉から飛びだしそうになった。
 そのときシュミーズの肩の部分が片方、ゆっくりと滑り落ちた。
 男につかまれたまま、キャリーはびくりと体を引いた。「しいっ」彼が耳元でささやく。「怖がらなくていい。こんなもので隠しておくには、きみは美しすぎる」
 キャリーの心の半分はどうしたらいいかわからなくてパニックに陥っていた。だがもう半分は、どうにでもできる状態の女性に対してこんなにもやさしく振る舞おうとしている彼が不思議でならなかった。
 男がキャリーの反対側の肩に手をまわし、小さな袖のついた肩の部分が肘に向かって滑り落ちる。生地が引っ張られる感触がしたあと、湿って肌に張りついていたシュミーズの生地がウエストのところまで落ちると、彼女の両腕はシュミーズの小さな袖にとらわれたまま動かせなくなった。部屋の冷気に体が震え、すでに立ちあがっている胸の頂がますます硬く縮こまる。
 彼が長々と息を吐くのを、キャリーは聞くというより体で感じた。
「目を開けて」
 キャリーはためらったが、結局かすれた声で命令されたとおりにした。鏡にはみだらな自分の姿が映っていた。影に包まれ大きくそびえている男の姿を背に、白くつややかな肩や胴や胸が浮かびあがっている。腰のところでくしゃくしゃになっているシュミーズやその袖で固定された腕が恥知らずな印象を増していて、ある意味、何も身につけていない姿よりも官能的だ。
 キャリーは視線をあげて、鏡の中の自分と目を合わせた。口を覆っている大きな手の上に見える目はショックに大きく見開かれていて、いつもの自分と印象が違う。これは本当にわたしなの? 
「きみはまだ、ぼくのものを身につけている」
 彼女は傷ひとつない完璧な真珠を何百も連ねた長いネックレスをつけていた。ネックレスは胸の谷間に垂れさがり、蝋燭の金色の光を受けてこの世のものとは思えない幻想的な光を放っている。
 キャリーはすぐに外そうとして両手をあげかけたが、男は大きな手で蝶をとらえるようにそれをつかまえ、合わせた手を彼女の胸のあいだに押しつけた。
「欲しいなら、きみにあげよう」
 誰かを説得するのに慣れていないのか、喉から引きはがすように出した声はかすれている。
「何かちょっとした頼みを聞いてくれるだけでいい。だが頼みたいことがたくさんありすぎて、何にするか選べない……そうだ、こういうのはどうだろう。真珠ひと粒につき、願いごとひとつというのは?」
 ネックレスをたどる熱い指が、キャリーの肌をかすめていく。
「真珠がこんなにたくさんある……これだけあれば、きみを一年だってとどめておけるだろう。毎晩ぼくのところに来てくれるかい? 一回ごとに、ぼくはきみにひと粒真珠を渡す。死につつある男の頼みだ。冷たい夜と冷たい夜明けにぬくもりを運んできてくれたら、最後にはきみを喜んで解放すると約束しよう……」
 低く響く男の声に潜む深い孤独に、キャリーは恐怖が薄らいだ。彼の心は酒がもたらした幻覚の森をさまよっていて、自分が何を言っているのかわかっていない。だから彼女が血肉を備えた人間の娘——それもきちんとした育ちの娘——で、嵐から避難するためにこの屋敷の炉辺へたどり着いたのだということは、あとで説明しよう。
 そのとき、男がキャリーの手にかぶせていた手を離して胸を包んだ。同時に熱い唇を彼女の首筋に押しつける。ショックを受けたキャリーの抗議の叫びは、彼女をきつく引き寄せた男の喉から放たれた欲望の声にかき消された。