立ち読みコーナー
目次
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登場人物紹介
モーガン・デーン                元地方検事補
ランス・クルーガー               モーガンの元恋人。元刑事。
アート・デーン                 モーガンの祖父。元警察官
ステラ・デーン                 モーガンの妹。刑事
エヴァ・デーン                 モーガンの娘
ミア・デーン                  モーガンの娘
ソフィー・デーン                モーガンの娘
テッサ・パーマー                モーガンのベビーシッター。女子高生
ニック・ザブロスキー              テッサの恋人
ジェイミー・ルイス               テッサの友人
ジェーコブ・エマーソン             テッサの友人
フィリップ・エマーソン             ジェーコブの父親。弁護士
リンカーン・シャープ              ランスの上司。〈シャープ探偵事務所〉所長
ジェニファー・クルーガー            ランスの母親
ディーン・フォス                退役軍人
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 ランスは町にある小さな自宅へ帰り、私道に車を停め、寝室がふたつある平屋に入った。混沌としたモーガン家と比べると、がらんとしていて空虚に感じる。まさか三人の小さな子どもたちの絶え間ないおしゃべりが恋しくなるとは思わなかった。
 寝室で服を脱ぎ、バスルームへ行った。冷たいシャワーを浴びて、頭をすっきりさせる。五分後、体を拭いて服を着たあと、ベッドを見つめた。今朝の犯行現場が頭から離れないうちは、眠らないほうがいいだろう。ダイニングルームにあるピアノの前に腰かけたものの、弾く気にはなれなかった。誰もいない寒々しい部屋で、壁を見つめてただ座っているつもりもない。
 土曜日だが、仕事で気晴らしをしたかった。
 鍵をつかんで家を出た。職場までは六ブロックしか離れていない。通勤時間は三分未満だ。
 事務所に現れたランスを見て、デスクに着いていたシャープが言った。「ひどい顔をしてるぞ」
「それはどうも」ランスは奥にあるキッチンへ行った。「コーヒーはないのか?」
「副腎に負担をかけたいのか?」シャープが否定するような口調できいた。
「ああ」ランスは頭蓋底の辺りがずきずきした。
 シャープがミキサーと葉物野菜を取りだした。「そんなことより、ゆうべの話を聞かせてくれ」
「もう知ってるんだろ」ランスは小さな木のテーブルの椅子に腰かけた。
「テッサ・パーマー、十八歳がスカーレット湖のパーティー会場近くで死体で発見されたというのは聞いた」シャープが最近気に入っているサツマイモの葉と、冷凍果実をミキサーに突っこむ。「発見したのはおまえさんとモーガン・デーンで、凄惨な殺人だったってことも」
 ランスは息を吐きだした。「つまり、そういうことだ」
 それでも、昨夜の出来事を詳しく話した。話が終わると、シャープはミキサーを動かし、できあがった気持ち悪い緑色の液体をグラスに注いだ。「抗酸化物質はストレスにきくんだ」
 味は見た目ほど悪くないと知っているので、ランスはそれを飲んだ。「何か仕事はないか?」
「もちろんあるぞ」
 ランスはシャープのあとについて自分のオフィスに入った。
 シャープはマグカップをデスクに置くと、ファイルの山から一冊選びだした。「これだ。ジェイミー・ルイス、十六歳が二カ月前から行方不明になっている。スカーレット・フォールズ警察は手がかりをつかんでいない。母親が打ちひしがれている。家出したことは前にもあるが、警察が見つけられないのは今回が初めてだ」
 ランスはファイルを手に取って開いた。二十×二十五センチのフルカラー写真に写っている少女と目が合った。学校で撮った写真だが、ジェイミーは笑っていなかった。しかめっ面で口がゆがんでいる。とはいえ、衝撃を受けたのはその目だった。怒りに満ちた挑むようなまなざしは、十六歳の少女とは思えない。
「これより穏やかな表情をした重犯罪者もいる」ランスは言った。
「たしかに」シャープが説明を続けた。「彼女は注意欠陥障害(ADD)と反抗挑戦性障害(ODD)だと診断され、八歳のときからさまざまな薬を処方されている。十二歳になる頃には薬を拒むようになり、アルコールやマリファナで自己治療していた。二年前、さらに双極性障害と診断された。両親は離婚し、お互いに相手のせいにしている。義理の親とは衝突が絶えない。母親は地元の人間だ。父親はカリフォルニアへ引っ越して再婚した」
「深刻な問題を抱えているみたいだな」
「ああ」シャープがため息をつく。「警察は町で彼女の足取りをつかめなかった。遠くへ逃げたと確信している。両親はその可能性も認めつつ、とにかく早く見つけてほしがっている」
 ランスはファイルをざっと見た。シャープはジェイミーの母親に直接会って話を聞き、父親とは電話で話していた。さらに、ジェイミーの寝室を調べた。女の子っぽい女の子ではないようだ。クラシックロックと漫画が好きで、絵を描くのが得意だが、なかには不穏なスケッチもあった。「町を出たのなら、地元の警察にできることといったら、百万人の行方不明の子どもたちが登録されているデータベースに書き加えることくらいだろう」
 別の地区の警察に捕まったら、全米犯罪情報センター(NCIC)で検索される。ジェイミーは家出人として登録されているから、保護者のもとへ帰される。
「おれは何をすればいいんだ?」
「ジェイミーのSNSのアカウント情報を入手した。行方不明になってからはアクセスしていないが、いまの子たちはなんでもSNSに投稿する。いなくなる前の数カ月間の投稿を調べろ。何か手がかりが見つかるかもしれない。両親の知らない友達とか。彼女が行きたがっていた場所とか。怪しいネット上のつながりとか」
 ランスはキーボードの上で指関節を鳴らした。「了解」
 シャープがポケットから鍵束を取りだし、自分のオフィスを顎で示した。開いたドアの向こうに、壁際の黒革のソファが見える。「それと、昼寝をしろ」
「眠れないかも」
「今日はお袋さんのところへ行ってきたのか?」
「まだだ」死体を発見したあとで、母親の相手をする準備ができなかった。「昼寝したあとで行くかも」
 一瞬の間のあと、シャープが言った。「おれが代わりに様子を見てこようか?」
 ランスの母親の様子を見に行くのは、ちょっと訪問するのとはわけが違う。シャープは、不安症の母が自宅に入ることを許す数少ない人物のひとりだ。シャープがいなければ、去年の秋、ランスが入院しているあいだに、母を訪ねたり、グループセラピーに連れていったりしてくれる人は誰もいなかっただろう。
「いや、自分で行くよ。気を遣ってくれてありがとう」
「気が変わったら連絡しろ。それから、裏口のボウルに水を入れておいてくれ」シャープがそう言って出ていった。
 ランスは裏口へ行った。野良犬がぱっと階段の下に隠れ、白と黄褐色の痩せた体が一瞬だけ見えた。ボウルをキッチンへ持っていき、水を注いで裏口に戻した。犬は痩せていたし、餌のボウルもからだったので、ドッグフードを少し入れてやった。彼を見守る犬の目が輝いていた。
「シャープはそんなに悪い人間じゃないぞ。ぶっきらぼうに見えるが、喜んできみの奴隷になる」
 犬は信じなかった。
 ランスは自分のオフィスに戻ると、ワイヤレススピーカーでクラシックロックのラジオを流し、パソコンの前に腰を据えた。ファイルをめくって親の情報が載っているページを開く——ティーンエイジャーの遺体の映像を頭から追いだせるならなんでもいい。
 三時間かけて調べ物をしたら、どっと疲れが出た。ジェイミーのSNSのアカウントからは何も見つからなかった。彼女の病歴を考えると、両親にオンライン活動を監視されている可能性が高い。ジェイミーはおそらくそれを知っていて、投稿を控えているのだろう。
 ランスはコーヒーとドーナツを買いに行こうと思った。いま眠れば、テッサ・パーマーの遺体が夢に出てくるだろう。だが、玄関へ向かう途中で太腿に鋭い痛みが走り、ランスは引き返した。キッチンへ行ってプロテインシェイクを飲んでから、ソファに横になった。
 悪夢に——ほかの何ものにも回復の邪魔はさせない。
 ところが、安眠を妨げたのはテッサではなかった。夢に出てきたのはモーガンだった。自分を苦しめる力を持つのは彼女だと、ランスは夢のなかでさえ理解していた。