立ち読みコーナー
目次
472ページ
登場人物紹介
ウィラ・イヴレイク               村育ちの娘
ヒュー・デュロンゲット             第五代ヒルクレスト伯爵
リチャード                   ヒューの伯父。第四代ヒルクレスト伯爵。故人
イーダ                     ウィラの育ての親
ルーカン・ダマニュー              ヒューの幼なじみで親友
ジョリヴェ                   ヒューのいとこ
ヴィネケン                   リチャードの親友
バルダルフ                   ヒューの護衛
ルヴィーナ                   ウィラの幼いころの友人
アルスネータ                  ルヴィーナの母親。料理人
ガウェイン                   アルスネータの甥
ジュリアナ・イヴレイク             ウィラの母親。故人
トーマス                    リチャードの息子
トリスタン・ドーランド             ウィラの父親
ガロッド                    トリスタンの甥
25ページ~
 多くの貴族の男性と同じく、ヒューも幼いころから同じくらいの身分の女性と結婚することを定められていた。結婚できる年齢になる前に婚約者が死んでしまったのは、不運としか言いようがない。そうでなければ、ヒューはとうの昔に結婚していただろう。同じくらい不運だったのは、ヒューの父親が先祖から受け継いだわずかな財産を増やそうとして失敗し、挙句に失ってしまったあとで彼女が死んだことだった。そういった状況だったから、次の婚約者を探すのは難しかった。だが運命が事態を変えてくれた。ヒューは望んでいたよりはるかに裕福な男になったのだ。女たちは、彼を追いかけるようになるだろう。その不運な“状況”のせいで、種馬程度にしか役に立たない男になった彼をあざ笑っていた女たちが、今度は彼を追いかける立場になるのだ。何年ものあいだ、思いやりのかけらもなく投げつけられてきた侮辱の言葉をいまこそお返ししてやろうと思った。処女ではないからと言って、かたっぱしから彼女たちをはねつけてやるつもりだった。そのことを一番よく知っているのは彼なのだから。
 ウィラがまた身じろぎしたので、ヒューは小さくため息をついた。彼女は美しい。その香りはうっとりするほどだったし、体を押しつけられると、結婚するつもりがないときには抱くべきではない考えがむくむくと頭のなかに広がるのをどうしようもなかった。ウィラが貴族だったならよかったのにと思ってしまったほどだ。そうすれば彼女と結婚しただろうに。彼女の美しさをより引き立てるシルクのドレスをまとわせ、宝石で飾り立てて、長年彼をあざ笑ってきた貴族たちに見せびらかすのだ。ヒューはしばし空想にふけった。ウィラを国王に紹介し、ダンスをし、同じグラスからワインを飲み、汁気のたっぷりある食べ物を手ずから食べさせてやる。それから彼女を寝室に連れて帰り、まとっていた宝石とシルクをすべて脱がせ、ベッドに横たえて、華奢な爪先から順になめたりかじったりして——
「鞍ってみんなこんなにでこぼこしているものなの?」ウィラの言葉にヒューは白日夢から覚めて我に返った。現実の世界では彼女が楽な体勢になろうとして、またごそごそと体を動かしていた。「ここになにかとても硬いものが当たっているの」
 ヒューはなにかが太腿に触れるのを感じて、視線を落とした。ウィラの手が、その“とても硬いもの”を探している。ヒューはあわてて彼女の手をつかんだ。
「あー……鞍はふたりで乗るようにはできていない」ヒューはひどくしゃがれた声で言った。小屋のある空き地がもうすぐそこなのに、まだ満足できる答えを彼女から聞いていないことに気づいた、ヒューは馬を止めた。
「どうしたの?」ヒューが馬から降りると、ウィラは驚いて訊いた。
「鞍の乗り心地が悪いようだから、あとは歩いていこうと思ってね」ヒューは適当なことを言った。ちらりと振り返ると、ルーカンはそれなりの距離を置いたところで辛抱強く待っていた。
「あら」ウィラは曖昧な笑みを浮かべたものの、おとなしくヒューの手を借りて馬から降りた。
 ヒューは時間をかけて馬を木に結わえながら、どういうふうに話を持っていこうかと考えた。決して口がうまいほうではない。彼が得意なのは戦闘だ。戦場で雄弁さを必要とされることはまずなかった。あいにく、戦闘技術はここではまったく役に立たない。自分の口下手を承知していたヒューは、単刀直入に話をしようと決めた。もてあそんでいた手綱から手を離し、ウィラに向き直る。「きみには結婚したいと考えている男はいないのか?」
「わたしはあなたと結婚するんでしょう? 違うの?」
 ヒューは不安そうな表情を浮かべた彼女から視線を逸らした。「伯父はそう望んだようだが、残念だがわたしはあまりいい考えだとは思わない」
「わたしがいやなの?」ヒューは思わず彼女の顔に目を向け、とたんに後悔した。まるで傷ついた子犬のようだ。罪悪感に襲われて、あわてて顔を背けた。
「きみがいやだというわけではない」ヒューは釈明しようとして、心のなかで自分に問いかけた。それは本当だろう? わたしは彼女を欲しがっている。こうしているいまも、股間は硬くなったままだ。彼はただ、彼女を妻にしたくないだけだった。
「いいえ、あなたはわたしがいやなんだわ」ウィラは悲しそうに言うと、青ざめた顔で一歩あとずさった。
 あの素晴らしい金色の髪の下では顔が黄色く見えることを知って、ヒューの罪悪感はさらに募った。彼は自分の落ち度を認めることが苦手だった。罪悪感に襲われると、落ち着きがなくなり、不機嫌になり、最後には怒り始める。ちょうどいまのように。こんなことになったのは自分のせいではない。二日前まで、目の前の女性の存在すら知らなかったのだ。守ることのできない約束をしたのは伯父だ。伯父はそれを知っていたからこそ、自分には黙っていたに違いないとヒューは結論づけた。
 いらだちと怒りが心のなかで渦巻き、ヒューはウィラをにらみつけた。「伯父は、わたしの意見も聞かずに、わたしと結婚するなどということをきみに言うべきではなかったんだ」
 だがウィラは納得したようにも、機嫌を直したようにも見えなかった。ヒューはきっぱりと告げた。「どう考えても無理だ。わたしは伯爵だ。だがきみはただの私生——」彼女をひどく侮辱していることに気づいてヒューは口をつぐんだが、手遅れだった。ウィラはきびすを返して走りだそうとした。ヒューは彼女の腕をつかんだ。
「不用意なことを言った。すまない。だがわたしはきみとは結婚しない。不釣り合いだ。だがきみの面倒は見よう。持参金を用意し、ふさわしい相手を探して——」
「その必要はないわ。そんなことをしてくれなくてもいい。あなたになにかしてもらおうとは思わないから。なにひとつ」ウィラは森のなかを走り去った。