立ち読みコーナー
目次
552ページ
登場人物紹介
アビー・シンクレア               女性だけの暗殺者集団のメンバー
ケイン・ウッドランド              傭兵。モーガンの部下
ノエル                     アビーの上司。女性だけの暗殺者集団の代表
イザベル・ローマ                元FBI捜査官。女性だけの暗殺者集団のメンバー
ジム・モーガン                 傭兵チームの代表。ジェレミーの友人
ジェレミー・トーマス              アビーの養父。元米陸軍レンジャー部隊員。故人
デレク・プラット                傭兵。モーガンの部下。通称D
トレヴォー・キャラハン             傭兵。モーガンの部下
ルーク・デュボワ                傭兵。モーガンの部下
イーサン・ヘイズ                傭兵。モーガンの部下
ホールデン・マッコール             傭兵。モーガンの部下
ロイド                     傭兵チームの家事係
ルイス・ブランコ                コロンビアの裏社会の大物
ウィリアム・デブリン              ブランコの右腕
64ページ~
 見知らぬハンサムな男が部屋を横切るのをアビーは見つめた。今の自分の状態で、男の外見に気づいただけでも奇妙なことだった。たとえもっと頭がはっきりしていても、男の外見を称賛することはなかっただろうが。男に興味はなかった。女のほうがいいというわけではない。どちらにしてもセックスに惹かれなかったのだ。男でも女でも、人間が人間にどれほどひどいことができるか、あまりによく知りすぎていたからだ。
 救い主は窓の下に置かれたテーブルから水差しを手にとり、グラスに水を注いだ。それからこちらを振り向くと、ベッドへ歩み寄ってきた。「飲むんだ。きみは脱水症状を起こしている」そう言ってグラスを差し出した。
 アビーはグラスをじっと見つめた。
「おいおい、毒など入れてないぞ」
 それで、どんな理由でそれを信じればいいわけ? 目を開けたらそばに立っていた男をいきなり信じろと言われても無理な話では? モーガンに雇われている人間かもしれない——そう自分では言っていた——けど、ジム・モーガンその人を目にするまでは、誰のことも信用するつもりはなかった。
 でも、くやしいことに、喉は渇いている。
 ため息をつき、アビーはグラスを口に持ち上げ、ごくごくと水を飲み干した。それから男にグラスを差し出した。「もっと」
 笑いをこらえるように男の唇がゆがんだ。「かしこまりました」
 アビーは水のお代わりを入れに行く男を見つめた。大きな男だった。少なくとも百八十センチはある。がっしりしているというよりは引きしまった体格だ。淡いブロンドの髪は若干乱れている。目は濃い緑。そして、その顔は……映画スターかモデルと言っても通るだろう。
「おれはケイン」男は水のお代わりを持って戻ってきながら言った。
「いいわ、ケイン。どうしてブランコの監獄からわたしを救い出したの?」
「そもそもきみはどうして監獄にいた?」
 何も言うな。まずは自分の身を守るんだ、アビー。
 アビーはグラスを側卓に置き、ひそかに部屋のなかを見まわした。寝室であるのは明らかだ。窓はひとつ。バルコニーはない。出口もひとつ——ケインの背後にあるドア。ここから逃げ出すのはむずかしいだろう。
「やめておけ」彼女の心の内を読んだかのようにケインが言った。「どこにも逃げ場はない。今のきみの状態ではな」
 立ち上がろうとして男のことばが正しいことがわかった。頭がぐるぐるとまわり出し、アビーは思わずマットレスに身を戻した。ああ、まったく。脱水症状だと男は言っていた。ふらつくのも道理だ。肋骨にひびがはいっているせいで、呼吸するだけでひどく痛む。
 少なくとも、もう裸ではなかった。誰かが——ケインが? ——三サイズほど大きなスウェットの上下を着せてくれていた。足は裸足だったが、そのほうが窓から逃げるときには壁を降りるのが楽だろう。いざとなればそうするつもりだった。ここから脱出しなければならないのだから。彼に言ったように、助けてほしいと頼んだわけではなく、干渉されたせいで、救うつもりの少女たちに近づくことはもはや不可能だった。
 アビーは再度立ち上がろうとしたが、まためまいに襲われた。体がかっと熱くなり、うなじが汗でびっしょりになる。こんな感覚はいやでたまらなかった。囚われ、なすすべもない感覚は。「ここはどこ? 誰の住まい?」彼女は訊いた。
「隠れ家だ。隠れ家は世界各地にある。モーガンが必要だと言うんでね」
「モーガンにじかに会えたら、そう聞いて気が休まるかもしれないわね」アビーは顔をしかめた。「あなたがほんとうに彼の部下だと確信が持てないの」
 モーガンの声が入口から聞こえてきた。「ほんとうさ。だから、だだをこねるのはやめて、世話をしてもらうんだな」
 ジム・モーガンのなじみ深い顔を見て、アビーの胸は締めつけられた。少なくとも四年ぶりだったが、口のまわりに多少皺が増えたぐらいで、まったく変わっていなかった。年は三十代後半か、四十代前半になっているはずだが、その目は以前と変わらず鋭く、黒っぽい髪は軍隊式に短く刈りこまれていた。昔同様、電気を発しているかのようにぴりぴりしている。いつもそれが神経に障ったものだった。ほんのわずかな挑発に対しても、爆発して飛びかかってくるのではないかと思えたからだ。
 しかし、ジェレミーはモーガンを信頼しており、アビーはジェレミーの判断を信じた。モーガンは親友とは言えないかもしれないが——アビーに親友はいなかった——少なくとも味方ではある。
「世話をしてもらう必要はないわ」アビーは両方の男に顔をしかめてみせ、不満そうに言った。「鎮静剤を打たれるのもいやよ。ドラッグについてわたしがどう思っているかは知ってるでしょう、ジム」
「わかった」モーガンはあきらめたようにそう言うと、ベッドのそばへ寄り、アビーのあざだらけの顔を眺めまわした。「気分は?」
「悪くないわ。多少傷を負ったからって、長くへたばったりはしないもの」
 モーガンは笑った。「ああ、そうだろうな。それで……ノエルに雇われているんだって? 最後に会ったときには、そんなことは言ってなかったが」
 アビーは小さく肩をすくめた。「あなたが彼女のことを好きじゃないのは知っていたから。きっとお説教されると思ったのよ」
 ケインはアビーとモーガンの表情を探るように交互に見ながら、ふたりのやりとりを興味津々で見物していた。
「ああ、説教しただろうな。今もするつもりだが」モーガンは首を傾げた。「どうしてつかまった、アビー? きみほど優秀な人間が正体を暴かれたりはしないはずだ」
 アビーは答えなかった。習慣のなせるわざだ。ジェレミーからもノエルからも守秘の重要性はきっちりと脳裏にたたきこまれていた。それだけでなく、自殺行為とも言えるこの作戦にモーガンを巻きこみたくなかった。ブランコやデブリンと一戦交えると決めたのは自分で、あの少女たちを救うのも自分だ。昔から単独で動くのが一番で、ときに冷酷な行動をとることはあっても、自分が挑むと決めた——おそらくは愚かしい——聖戦で親しい人間が殺されるのをまのあたりにするのはいやだった。
「ねえ、あなたは知らないほうがいいわ」しばらくしてアビーは小声で言った。「あなたを巻きこみたくないの、ジム」