立ち読みコーナー
目次
560ページ
登場人物紹介
アビゲイル(アビー)・プライス        アメリカ人実業家の娘
グレイム・エドワード・チャールズ・パー    モントクレア伯爵
サーストン・プライス             アビーの父親
モリー                    アビーのメイド
ジェイムズ・ド・ヴィアー           グレイムのいとこ
ローラ・ヒンズデール             グレイムの想い人
ミラベル                   グレイムの母親
レジナルド                  グレイムの亡父
ユージーニア                 グレイムの祖母
デイヴィッド・プレスコット          アビーの友人
フィロミーナ・ポンソンビー          ユージーニアのコンパニオン
ミルトン・ベイカー              グレイムの父親の実務担当者
ジョージ・ポンソンビー            フィロミーナの亡夫
アリステア・カンブリー            聖ヴェロニカ教会の元教区牧師
171ページ~
 アビーは腰を下ろし、前かがみになってワインを注いだ。自分のグラスを持ち、彼と顔を合わせる。「さて……なにをはっきりさせたいのかしら?」
「子どもを持つのなら、息子は——」
「娘かもしれないわよ」アビーが口をはさむ。
「そうだな。息子か娘は——あるいは、両方かもしれない」
「両方? それって、ひとり以上を考えているという意味?」
「私には跡継ぎが必要だ」グレイムの顔が赤くなってくる。「だが、男と女のどちらが生まれてくるかは……」
 アビーはにっこりした。「なるほど。では、息子ができるまで続けるべきだと言っているのね?」
 彼の顔がさらに赤みを増した。グレイムが不安そうになればなるほど、アビーは自分がくつろいでいくのを感じた。
「そういう意味では——いや、わからない」グラスを手に取ってワインを大きくあおった。
「それについては、そのときに対処しましょう。ほかには?」
「息子は——娘は——ここで育てなければならない」
「ロンドンで?」
「イングランドでだ。アメリカで育てるのは許さない」
「それでけっこうよ。あなたの跡継ぎは、爵位を相続するここで育つべきだもの。息子をよそ者にするなんて望んでいません」
「では……きみはここで暮らし続けるつもりなのか?」グレイムは彼女ではなく、手のなかのグラスに視線を据えたままだ。
 冷たいものに胸を貫かれたが、アビーはそれを押しやった。落ち着いて理性的でいなければ。「もちろん子どもと一緒に暮らすわよ。でも、人生に首を突っこまれるのではないかという心配はご無用よ。取り決めが一時的なものだというのはよくわかっています。わたしは自分の家で暮らします」
 グレイムが冷酷な目をさっと向けた。「子どもにとって他人のような存在になるつもりはない」
「当然ね。それについては疑いの余地もないわ。きっと、子どもと一緒に暮らしながら、おたがいに干渉しないやり方ができると思うの。あなたはロンドンに地所と町屋敷を持っている。わたしは隠棲所を買ってもいいわね——山のなかに別荘を持つアメリカの資産家のヴァンダービルトみたいに。スコットランドにでも。それならおたがいを避けるのも簡単でしょう」
「たがいを避けなければならないとは言っていない」グレイムは眉をひそめた。
「説明の必要はなくってよ。気をつかって如才ない言い方をしなくても大丈夫。侮辱を跳ね返す鎧で心を守っているから」アビーはすらすらと嘘をついた。「永続的なものにはなんの関心もないの。わたしたちは困難な状況に陥ったというだけ——おたがいに相手に縛りつけられて」
「ああ、まあ……」あいかわらず当惑の表情を浮かべたまま、グレイムはまたワインをすすった。
「グレイム……」アビーは身を乗り出して彼の腕に手を置いた。「あなたを困らせたり……いやでたまらないことをさせたりはしたくないの」
「ちがうんだ」グレイムは慌てて言った。「いやでたまらないなんてことはぜったいにない。きみはとても……美しい。男ならだれだって光栄に思う」
 アビーは彼の唇に指をあてて黙らせた。「お世辞を言ってほしいわけではないのよ。嘘はぜったいにいや。あなたが乗り気でないのはわかっているわ。だから、気を楽にさせてあげたいの」アビーは漆塗りの箸を引き抜き、髪をはらりと下ろした。