立ち読みコーナー
目次
536ページ
登場人物紹介
ルーシー・アプトン               伯爵令嬢
デレク・ハント                 クラリントン公爵。元軍人
カサンドラ・モンロー(キャス)         ルーシーの親友
ジュリアン・スウィフト             デレクの親友
ジェーン                    ルーシーの友人
ギャレット                   ルーシーのいとこ
メアリ                     ルーシーのおば。ギャレットの母親
クリスチャン・バークレイ            ギャレットの友人
オーウェン・モンロー              キャスの兄
レディ・モアランド               キャスの母親
コリン・ハント                 デレクの弟
アダム・ハント                 デレクの弟
ドナルド・スウィフト              ジュリアンの兄。スウィフドン伯爵
ラファティ・キャベンディッシュ(レイフ)    陸軍大尉
ペネロペ                    キャスのいとこ
16ページ~
 デレク・ハントは生け垣から引っ張りだした令嬢に目をすがめた。あちこちにろうそくが灯っているので、彼女の容貌はじゅうぶんに見てとれた。ふんわりとした黒髪に、あざやかな青い瞳——いや、片方は青だが、もう片方はハシバミ色か? そして、あごをつんと上げた顔にはいかにもむっとした表情。胸が上下しているのは、どう考えても怒っているせいだろう。表情で人に危害を加えられるとしたら、いまごろ彼はぼろぼろになっているはずだ。
 レディ・ルーシー・アプトン。
 舞踏室でも彼女には目を留めていた。あそこにいた紳士のだれもがそうだったろう。はっとするような美しさだ。たとえ髪に葉っぱがついていても、黒髪の巻き毛に枝がぶらさがっていても。なにやら尋常ではない容貌の持ち主だという噂)は聞いていたが、遠くからではよくわからなかった。だが、きっとこの瞳のことだろう。左右の色がちがっているが、やはり彼女は美しい。
 彼はチェンバース卿に彼女のことを尋ねていた。
「売れ残り確定ですよ」チェンバース卿はそう言った。「求婚者もおりません」
「どうしてでしょう?」デレクは無関心そうに尋ねた。「容姿はそれなりに整っているかと思いますが」
 どうやらこのレディは、舌鋒が鋭すぎるらしい。言葉を剣のごとく使い、突いてはかわし、かわしては突き返す。なんとも達者に言葉を操るそうだ。どこでだれに聞いても、そういう返事が返ってくるのだとか。かしましい社交界の人々でさえ、ものの数秒で粉砕する勢いだと。チェンバース卿によると、社交界のめぼしい独身男性たち——つまり戦争に行っていない者たち——は、すぐにレディ・ルーシーとは関わりを持たないようになるとのことだった。
 黒髪の美女を、デレクはまじまじと見た。彼は三十歳になったばかりだ。そして戦地から戻ったばかり。銃弾の飛び交う場所で何年も過ごし、大陸の戦場で命を落としかけたことも何度かある。これからは平穏に暮らしたい。
 レディ・カサンドラのことは人からすすめられた。物静かでひかえめな女性だと。「妻にするには理想的な女性だ」とスウィフトは言った。平和に暮らしたい男にとっては従順な妻は最高の選択だろう。
 レディ・ルーシー・アプトンは真逆の女性だ。
「閣下」レディ・カサンドラが口を開いた。あきらかに、この尋常ならざる状況を説明しようと言葉を探している。「わたしたちはただ……」
 デレクは腕を組み、ふたりの令嬢を見つめた。レディ・カサンドラは見るからに恥じいっていた。愛らしい顔はピンク色に染まり、このとんでもない大失態の場から逃げだしたいと思っているのだろう。いっぽうレディ・ルーシーは、まだまだこれからよとでも言いたげだ。
「どういうことか、だいたい想像はついている」デレクはふたりを上から見おろした。「わたしの推測が正しければ、ミス・アプトンが生け垣の後ろから、わたしに言うことをあなたに指南していたんだろう」そう言いながらも彼の視線はレディ・ルーシーに据えられていた。そのレディ・ルーシーは、彼をひっぱたいてやりたいという顔だ。「そうだろう、ミス・アプトン? レディ・カサンドラにうまく伝わらなかったのかな?」
 舌鋒鋭い美貌の令嬢が口を開いた。彼に対する敵愾心に身を震わせて。ああ、彼女がなにを言うつもりなのか、聞くのが待ちきれない。
「矛先を向けるのは、対等にやりあえる相手になさったらいかがでしょうか」レディ・ルーシーは鋭い口調で言い放った。
 デレクが片方の眉をつりあげる。「たとえば、きみとか?」
 レディ・ルーシーの瞳に炎が燃えあがった。「そう、わたしよ。背丈や体重や傲慢さではあなたにかなわないかもしれないけれど、はっきり言って、わたしはあなたなんかこわくないの。さっきからお話をさせていただいてますけど、閣下、ちょっと申しあげますと、わたしは伯爵家の娘レディ・ルーシーであり、ミス・アプトンではありません」
 デレクは顔がゆるみそうになるのを、頬の内側を噛んでこらえた。彼女がレディだということなど重々承知している。しかしこの国の貴族は、貴い称号を誤って使われることをもっともきらう。デレク自身は、軍人である父親のもと三兄弟の長兄として生まれた。貴族でもなんでもない平民で、いまの地位には純粋に軍での功績のみでたどりついた。そう、いまや彼は公爵であり——戦闘における類まれなる意思決定の能力(と人は言う)によって、国王より爵位を賜った——そしてだれもが彼と関わりを持ちたがる。もう辟易していた。そういう輩につきあってやるつもりもない。しかしおもしろいことに、このレディ・カサンドラとレディ・ルーシーは、いまのところ彼の栄えある称号にはまったく興味もないようじゃないか? 
 デレクはルーシー・アプトンをよくよく眺めた。この数年間、彼は声を張りあげて命令をくだす生活を送っていた。その命令はただちに遂行されるのが当然だったが、この華奢な女性はこちらの言うことなど聞かないばかりか、みずから彼を敵にまわしているように思える。なんとも不本意なはずなのに、なぜか彼にはそれが楽しかった。
 軍人だった彼にとって、レディ・ルーシーの率直な物言いは好ましく思えた。それに、友人のために立ちあがって力になっているのも感心なことだ。しかし、だからと言って、彼のじゃまをさせるわけにはいかないが。