立ち読みコーナー
目次
560ページ
登場人物紹介
エメリー・フィン                団体職員
リーヴァイ・レン・アプトン           フィクサー。別名ブライアン・ジェイコブズ
ティファニー・ヤンガー             エメリーのいとこ
シーラ・デイトン                上院議員
マイケル・フィン                エメリーの父親。大学教授
ギャレット・マグラス              レンの部下
タイラー・バーン                エメリーとティファニーの幼なじみ
リック・クライヤー               元刑事
クウィンス                   レンの師匠。伝説のフィクサー
キース                     ボディガード
スタン                     ボディガード
キャロライン・モンゴメリー           エメリーの上司
38ページ~
 角を曲がると、レンは車のギアをパーキングに入れて待った。あのバットを振り回しながらエメリーが追いかけてくるのをなかば期待していたが、彼女は現れない。少しがっかりした。
 彼女がレンに気づいたこと自体、きわめてたいしたものだ。確かに、彼のほうは隠れていなかった。隠れていたら、見つけられることもなかっただろう。ありふれた日常の風景に紛れるのは昔からやっていたので、大得意だ。ほとんどの人間はあまり細かい部分まで見ていない。仕事を終えて家に戻り、玄関のドアを閉め、ドアの向こう側のことはすべて意識から遮断する。だが、エメリーは違った。おかげで興味深い夜が過ごせた。先々、問題になりかねないが、実に興味深かった。
 スマホを取り出して追跡アプリを確認すると、すぐさま画面上に点が表示された。用のある車は、ほんの数メートル離れたところにいた。レンを助けようと走ってくる者は誰もいなかったが、それでいい。配下の人間はみな、割って入るべきか控えるべきかをわきまえている。
 レンは車のエンジンを切ってドアを閉めた。キーチェーンのボタンを押すと、ピッという音とともにロックがかかる。エメリーのアパートメントが立っている通りにあえて戻り、窓を見つめながら、最初の車のところで足をとめる。ドアを開けて、後部座席に滑りこむ。
「大丈夫ですか?」運転手が尋ねた。
 部下が心配するのはわかるが、行動の自由を妨げられたくない。彼らの任務の詳細をギャレットに訊(き)くのは問題外だった。カフェでの一件を知られているだけでも癪なのに。そこでレンは、監視の状況についてはケースファイルを参考にし、尾行班の車のナンバーを控え、張りこみについての情報を得た。結局のところ、会社でいちばん偉いのはレンだ。
「彼女が実際にバットを振ってきたわけじゃない」だが、エメリーはそうしたかったはずだ。それは隠していなかった。激しい思いが波動のように伝わってきた。
 くそっ、彼女が欲しい。一糸まとわぬ姿にして互いの体を隅々まで探りたいという意味で、欲しい。きっと、彼女はベッドのなかでもすばらしいはずだ。感じるためにどうしてほしいか、はっきり言ってくる。決して、恥ずかしがったりしない。
 まったく、ぼくはなにを考えているんだ。
 運転席に座っていた部下がもぞもぞと体を動かした。「ここにいらっしゃることを、どうして知られたんでしょうか?」
「彼女は注意深く、頭がいい」それにセクシーだ。「尾行する際は、つねにそれを忘れるな。向こうも警戒しているだろう」
「承知しました」運転席と助手席にそれぞれ座る部下は声を揃(そろ)えて答えた。
「ナンバープレートはあるか?」
 運転席に座る部下がプレートをよこしてきた。「どうぞ」
「彼女を監視しているあいだ、正面玄関を使わずに建物から出る方法を突きとめるように。今回同様、彼女はまたこっそり抜け出すはずだ」エメリーは、ごくふつうの張りこみを難しくするタイプだ。
 ふたりは顔を見あわせ、またレンを見た。「彼女の監視を続けろと?」
「やめろとギャレットに言われるまではな」レンは数分のあいだ沈黙してから口を開いた。「おまえたちの最優先事項は彼女だ。つねに居場所を知っておきたい」
「承知しました」運転手は咳払いをした。「明日も、こちらにいらっしゃいますか?」
 それは絶対に避けたい。そこまで見透かされてたまるか。「ぼくが見張っているのと同様にふるまえ」
「わかりました」
 言うべきことは言った。レンはドアを開けたものの、一瞬ためらった。いや、もうひとつあった。「この件は、報告から省いていい」
 運転手は大胆にも微笑んだ。「バットのくだりですか?」
「報告のなかにそれが含まれていたら、ふたりともクビだからな」