立ち読みコーナー
目次
624ページ
登場人物紹介
クリスタル・ロバーツ              ウエイトレス。本名サラ・ディーン
シェーン・マッカラン              元陸軍特殊部隊隊員。軍事コンサルタント会社勤務
ジェナ・ディーン                クリスタルの妹
ブルーノ・アッシュ               クリスタルの恋人。〈チャーチ・オーガニゼイション〉の幹部
ニック・リクシー                シェーンの元戦友。元陸軍特殊部隊隊長
ベッカ・メリット                ニックの恋人。看護師
チャーリー・メリット              ベッカの弟。コンピュータ・セキュリティ・コンサルタント
ジェレミー・リクシー              ニックの弟。〈ハード・インク〉の経営者
ベケット・マルダ                ニックの元戦友
エドワード・”イージー”・キャントレル      ニックの元戦友
デレク・”マーツ”・ディマーツィオ        ニックの元戦友。コンピュータの専門家
ミゲール・オリヴェロ              ニックの友人。私立探偵。元ボルティモア市警の刑事
ジミー・チャーチ                〈チャーチ・オーガニゼイション〉のボス
フランク・メリット大佐             ベッカの父親。故人
モリー                     シェーンの妹。故人
ジェス                     〈ハード・インク〉の従業員
アイク・ヤング                 〈ハード・インク〉のタトゥー彫り師。
                        モーターサイクル・クラブに所属するバイク野郎
112ページ~
 どう考えても、彼と踊るなんて間違っている。クリスタルは怖くてたまらなかった。それなのにシェーンとこうしているのがあまりにも心地よくて、どうしてもやめられない。
 一曲だけ。大丈夫、ただのダンスだもの。なんてことのない、ただのダンスよ。
 それに、欲望に駆られているのは彼女だけではなかった。
 腹部にシェーンの硬くなったものが当たっている。
 クリスタルが鋭く息を吸うと、シェーンは彼女の耳のそばに唇をつけた。「ダンスしているだけだ。それ以上のことはしない。約束する」
 けれどもクリスタルはアドレナリンがすでにたっぷり出ていて、全身の震えが止まらなかった。好奇心と本能的な恐れが彼女の中でせめぎあう。
「しいっ……ただのダンスだ」シェーンが優しくなだめる。
 自分でもさっきそう考えたことを思いだし、クリスタルはようやく息を吸って心を落ち着けた。そのままシェーンと音楽に合わせて揺れ、くるりとまわり、体を寄せて押しつけあう。彼女は触れそうなくらい近くにあるシェーンの口から出た息が、頬骨の上にかかるのを感じた。
 彼はまるで火だ。手を出して遊んではならないもの。そうわかっているのに、クリスタルはシェーンに顔を近づけて……望んでいたものを得た。
 彼のキスを。
 頬にすばやく唇を滑らされただけだが、キスはキスだ。
 クリスタルは頭がぼうっとして、ぐるぐるまわりだした。シェーンが喉の奥で一瞬息を止めたのを感じると、びりびりとした震えが背筋から下腹部まで駆けおりた。シェーンが彼女の頬やこめかみや耳に、羽根のように軽く唇を押し当てていく。彼の愛撫はどれもこれも優しくて、クリスタルが今まで経験してきたものとはまったく違っていた。だからこそ安心して、このまま続けてもいいという気になった。
 腹部に当たる彼のこわばりは紛れもなく存在を主張していて、退く気配はない。好奇心と恐れとのあいだで、クリスタルは震えが止まらなかった。体の中を欲望が川のように流れ、どんどん速さを増していく。彼女は目を開かされた思いだった。男性に対してこんなふうに反応できる能力が自分にもあったのだ。こんな反応を自分から引きだせる男性が、この世に存在したのだ。知らなかった。
 このめまいがするような興奮に身をゆだねてしまいたいと、一瞬考えた。服を脱いでもつれあうようにベッドルームへ向かい、ベッドに倒れこんで互いを求める自分たちの姿が頭に浮かぶ。たった一度でいいから、感じるままに行動したい。自分以外の誰かの心配をせず、恐怖を覚えずに心から欲しいと思うものをつかみ取るのは、どんな気持ちがするものなのだろう。たったひと晩、すべてを忘れて心のままに乱れるのは、どんなものなのだろう。そのとき、シェーンはどんな感じなのだろう。
 けれどもこんなふうに部屋がぐるぐるまわっているということは、クリスタルにはその答えを見つける勇気がないということだ。別に、だからどうというわけではない。いずれにしても、決してそんなことにはならないのだから。
 クリスタルはシェーンと触れあっている感覚にあまりにも心を奪われていて、曲が終わったことにも気づかなかった。次の曲が始まる前に一瞬しんと静かになると、初めてわれに返った。自分が何をしていたのか、自分が何をしたいと思ったのかに気づいて息をのみ、シェーンの唇から慌てて顔を引き離す。
「ここでひと晩過ごすわけにいかないことはわかっている」クリスタルの心を読んだように、シェーンが言った。「でも、あともう一曲だけ踊ってくれないか」
 受け入れれば秘密の重みはさらに増す。それでもクリスタルはさっきよりも早く激しいロックのリズムがあたりに満ちると、うなずかずにはいられなかった。
 
 シェーンは自分が遂行すべき任務の域を超えた行動を取っているとわかっていたが、そんなことはどうでもよかった。クリスタルはシェーンのボタンをすべて押したのだ。やわらかくあたたかい体を押しつけ、両手で彼にしがみついている。その目には思っていることがすべて映しだされていて、シェーンにいてほしい、もう一度キスをしてほしいと懇願すると同時に、そんな自分に対する恐怖がありありと浮かんでいた。
 クリスタルを誘惑するなんて、計画にはなかった。女性から情報を聞きだすのに、セックスを武器にしたことはない。これまで一度も。音楽のおかげで、アパートメントに盗聴器が仕掛けられていたとしても、自分たちの様子は拾われていないだろう。こうして体を密着させて踊りながらであれば、音楽に紛れて会話だってできる。
 もしかしたら、ここまで警戒する必要はないのかもしれない。だがクリスタルが誰を恐れているにせよ、彼女を殴ったのが誰にせよ、彼女にシェーンも暴力をふるうと思わせた男が誰にせよ、クリスタルを支配するために自宅に盗聴器を仕込んでいる可能性は充分にある。
 それにシェーン自身も、さっきバスルームに行ったときに盗聴器を仕掛けた。彼女のベッドルームに置いてある電話の受話器と、バスルームのドアの上に。あとはつい先ほど、ステレオの横にも。フォトフレームがいくつも飾られている陰に。シェーンはここを監視する目的で来たのだ。
 それなのにクリスタルに触れられ、体の熱を意識し、身を寄せあっていると、理性が押しやられてただ感じることしかできなくなった。
 音楽に合わせてシェーンと一緒に揺れているクリスタルを見つめ、彼の首に手をかけて無意識にそこを撫でている指先を感じていると、こんなふうに彼女の家に入りこんでいる自分がどんどんいやなやつに思えてくる。それではいけないと懸命に理性を呼び覚まそうとしたが、感じることはやめられなかった。〈コンフェッションズ〉で何が行われているのか知るために情報を提供してもらわなければならないのだと思っても、クリスタルが少なくとも今この場で打ち明けてくれることはないとわかっていても、自分を止められない。盗聴器を使えば、何かよくない事態が起こったときにクリスタルとジェナを助けられると考えても、罪悪感は消えなかった。
 目の前に見える美しい顔には迷いが浮かんでいて、クリスタルもまた葛藤しているのだとわかった。シェーンを信用するべきか蹴りだすべきか、押しやるべきか引き寄せるべきか、彼の助けを受け入れるべきかこれまでどおり他人を締めだすのか決められないでいる。シェーンの仕掛けた盗聴器は、彼女の信用を失うかもしれない諸刃の剣だ。