立ち読みコーナー
目次
608ページ
登場人物紹介
エヴリン・タルボット              〈ハノーヴァーハウス〉の常勤精神科医
ベンジャミン・マーフィー(アマロック)     アラスカ州警察の巡査部長
ジャスパー・ムーア               エヴリンの高校時代のボーイフレンド
ティモシー・フィッツパトリック(ティム)    エヴリンの同僚。精神科医
フェリス                    〈ハノーヴァーハウス〉の所長
ロレイン・ドラモンド              〈ハノーヴァーハウス〉の調理場主任
ダニエラ・コネリー               〈ハノーヴァーハウス〉の調理場助手
グレン・ウィットコム              刑務官
エミリオ・クッシュ               刑務官
エディ・ペトロウスキー             刑務官
イライアス・クーパー              刑務官
ヒューゴ・エヴァンスキー            受刑者
アンソニー・ガーザ               受刑者
コートニー・ロフランド             ガーザの元妻
ペニー・シング                 エヴリンの秘書
ラッセル・ジョーンズ              フィッツパトリックの助手
リンダ・ハーパー                フィッツパトリックの秘書
グレッグ・ピーターズ              エヴリンの同僚。犯罪心理学者
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 彼のことをどう表現すればいいのだろう。誰の指図も受けず、物怖じしない人。一緒にいて楽しく、それでいてわたしとはくらべものにならないほど冷静な人。心にぱっくりと開いた穴が、一生背負っていくのだとようやく受け入れた心の傷が、彼のそばにいるとなぜかふさがれていく気がした。古傷もいつかは癒えるのだと教えてくれたのは、ほかならぬアマロックだった。
 そしてあのキス。心許ないあの数秒、キスより先に進むのではないかと思った。いまも彼の味がする。わたしの唇の上で動く、力強くもやさしい唇の感触も残っている。
 天にも昇るような気持ちだった。心がときめいた。思いだしただけで、口のなかにつばが湧いてくる。
 アマロックが外から戻ってきたときにはエヴリンはすっかり目が冴え、ベッドに横になったまま天井を見つめていた。眠ったおかげでワインの酔いは醒めていたけれど、炉辺で過ごすあいだに燃えあがった欲望の炎は消えていなかった。頭がはっきりしたせいで、かえってアマロックのことを意識してしまう。べつのことで気をまぎらすことができないからだ。
 体は、彼を受け入れる準備ができていた。アマロックと肌を合わせることを考えるとぞくぞくして、脚のあいだがうずいてくる。だけど、心の準備はどうなの?エヴリンが受けた心の傷は体の傷よりはるかに深く、いまもダメージを引きずっている。愛を交わすために必要な信頼関係を築けるかどうか自信がなかった。ジャスパーのことがあってからは、試したことすらなかったから。
 それなのに、どうしていまなの?あなたとはつきあえないと、去年の夏にアマロックに告げているのに。
 凍てつく吹雪の晩に、家に帰れなくなったわたしを泊めてくれた彼の心遣いのせいかもしれない。それとも、あれ以上キスを深めるのを思いとどまってくれたからだろうか。
 きみがほしい、とアマロックはいってくれた。彼を遠ざけたのはわたしのほうだ。いまわたしが彼の部屋へ行ったらアマロックはどうするだろう?危険は冒さず、わたしを拒む?それとも、一か八かの賭けに出る?
 アマロックが受け入れてくれて、もう一度セックスできるようになったとしても、それでなにもかもが一気に元どおりになるわけではない。そんな幻想は抱いていない。だとしても、小さな一歩ではある。遠い昔、カウンセリングを受けていたとき、セラピストにもそう勧められた。
 そんな勇気がわたしにあるだろうか?こちらから誘いをかけておいて、最後までいけなかったら?
 今夜、少しだけ取り戻した彼との友情を、またふいにしてしまうことになる。
 今日のところはあのキスだけで満足すべきなのだ。もっと親密な関係に発展するかどうか、時間をかけてなりゆきを見守ったほうがいい。
 だけど、もう二十年、男の人と肌を合わせていない。ずっと心に壁を築いて、誰も寄せつけなかったから。アマロックも一度トライしてくれたけれど、はねつけてしまった。
 エヴリンはクロゼットのなかに吊るしたスーツのことを考えた。夜が明けて、いつもの自分といつもの仕事に戻ったら、心の壁もまた元に戻ってしまうだろう。そうなったら、起こりえたはずのことは二度と起こらない。
 アマロックはバスルームに入ったようだった。トイレの水が流れる音に続き、廊下を歩くきしんだ音がした。アマロックが寝室に戻ってしまう。いますぐ行動に出ないと手遅れになる。