立ち読みコーナー
目次
520ページ
登場人物紹介
ブルック・ホイットワース          伯爵令嬢
ドミニク・ウルフ(ドム)          ロスデール子爵
エロイーズ・ウルフ             ドミニクの妹。故人
アナ・ウルフ                ドミニクの母
ロバート・ホイットワース          ブルックの兄
アルフリーダ・ウィチウェイ         ブルックの乳母。メイド。治療師
ガブリエル・ビスケイン(ゲイブ)      ドミニクの使用人。友人
トーマス・ホイットワース          ブルックの父。タムドン伯爵
ハリエット・ホイットワース         ブルックの母
アーノルド・ビスケイン           ゲイブのおじ
アーチャー                 ドミニクの親友
ベントン                  ドミニクの親友
プリシラ                  ドミニクの元愛人
ウィリアム                 馬丁
91ページ~
「だいたいきみは結婚できる年齢なのか?」
 話の流れにそぐわぬ質問をされ、ブルックは思わずウルフ卿に視線を戻した。さしあたり怒りは抑えられているようだが、確信は持てない。彼のことはまだよくわからなかった。かっとなりやすく、失敗も多く、歓迎の微笑みも見せてくれないということだけはわかったが。もしかしたらにこりともしない人なのかもしれない。けれど、彼がもう一度礼儀正しくするのなら、こちらもできないことはない。
「わたしが結婚適齢期かどうかなんて誰も気にしていないでしょう——少なくとも摂政皇太子さまは気になさっていないわ、あなたの家とわたしの家に姻戚関係を結んで和解するよう要求しているけれど。でもたまたまあと数週間でわたしは十八歳になるの」
「きみのように若く、甘やかされた伯爵令嬢が結婚のなんたるかを知っているのか?」
 ブルックはわずかに身をこわばらせた。「自分がなにを求められるのかわかっているわ」
「きみが? それはどうかな。どちらかといえば思いちがいだらけだろう。だが、社交界の半数は寝巻きも脱がずに子をもうけるのだから、まあ仕方ないか」
 ブルックは口をあんぐりと開けてしまい、あわてて口を閉じた。
「もっとそばに寄れ」
 ブルックは動かなかった。ベッドとの距離は五十センチほどで、すでに裸の〈狼〉のじゅうぶんそばにいた。結婚はまだしていない。味見なんて許さないわ……。
「結婚のけの字も知らないと早くも証明されたな。それともきみの母上は教えそびれたのかな、妻たるもの、なにはさておき夫に従いなさい、と」
 ブルックもその習わしは知っていたが、たがいに敬い、忠誠心を持たなければ、結婚生活は——自分にとって——忌まわしいものになるということも知っていた。けれど、ウルフ卿はいったいどうしたのだろう? 従順な妻になるか確かめたいだけなのだろうか。それとも、おれの従順な妻になったら楽はできないぞ、と釘(くぎ)を刺そうとしているの?
 せっつかれる前にブルックは一歩前に進んだ。しかし、ウルフ卿はじっと視線を向けてくるばかりなので、もっと近づいてほしいのだとブルックは察した。さあ、決めるのよ! どうするつもりかお手並みを拝見する? 言いなりになる? 思い出させるために……いいえ、彼と結婚しなければ、ホイットワース家は土地と爵位を失ってしまう。彼も同じ理由でわたしと結婚しなければならない。縁談はすでに成立したも同然だ。
 もう一歩前に進むと、太腿の上部がベッドのマットレスの端にあたった。近いほうのウルフ卿の腕が腰にするりとまわされ、背中に上がってきたかと思うと、ブルックは引き寄せられていた。あまりにも突然のことで、あやうく胸に倒れこみそうになったが、すんでのところで彼の肩の上に伸びるベッドのヘッドボードに手をついた。けれどウルフ卿になおも抱き寄せられた。その腕は力強く、とても抗えるものではない。彼の口で口をふさがれ、がっしりとした腕が背中にまわされ、身動きが取れなくなった。
 唇を奪われた。怒りをぶつけられ、それが情熱に火をつけているような気がした。いや、気がしたどころではなく、実際に情熱的だった。花嫁としてブルックを迎え入れたらベッドでどうなるのか、それを約束するようなキスだった。結婚したら一糸まとわぬ姿で肌を重ねるのだと、相手は精力あふれる男性で、ほしいものをほしいときに手に入れるのだと予感させた。胸がどきどきし、鼓動が乱れた。執拗(しつよう)に攻め立てる舌のざらつきや、肌にこすれる鼻の下の不精ひげや、うなじにあてがわれ、ぞくりとさせる指や、吐息にまじるウィスキーの香りにブルックの五感が刺激された。拒絶反応はまったく起きなかった。むしろ禁断の世界へと引き寄せられていた。
 けれど、ウルフ卿の腕が背中を離れ、舌が口から出ていくと、ブルックはすぐさまあとずさりした。予行練習はこのぐらいでいいだろうということかしら。ただそれだけのことにちがいない。
 ウルフ卿が口をひらき、ブルックの読みどおりだったとわかった。「きみを待ち受けているのはこういうことだ」
 ブルックは部屋から逃げ出したかったが、その場に踏みとどまった。ウルフ卿との結婚を拒んだら父になにをされるかわかっている。深く息を吸って気を鎮め、ほつれ毛を結い上げた髪に押しこむと、ベッドサイドテーブルにスコッチウィスキーの壜(びん)とグラスが置いてあることに気づいた。〈狼〉は昼間からお酒を飲んでいるの? よくない前触れだわ。それとも、治療薬としてウィスキーを飲んでいるのだろうか。