立ち読みコーナー
目次
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登場人物紹介
キャサリン・ベントン(ケイト)         ブランブリー・ハウスの女主人
エドワード・ウエストオーヴァー         ストラスモア公爵。英国陸軍大佐
オーガスタ・モンヴィル             エドワードのおば。ターニー伯爵夫人
ナサニエル・グレイ               エドワードの友人。英国陸軍大尉
トマス・マットソン               エドワードの友人。英国陸軍大尉
フィリップ・ベントン              ケイトの父親
スティーヴン・ウエストオーヴァー        エドワードの兄。故人
ジェイン・ウエストオーヴァー          スティーヴンの妻。故人
ミセス・エルストン               ケイトの家庭教師
アーサー                    ブランブリー・ハウスの執事
ドリー                     ブランブリー・ハウスの料理人
マイケル・ブラニガン              領地管理人
ミセス・ルッツ                 グレイムーアの家政婦
ジョン・リッチフィールド            准男爵
ウィリアム・ミーチャム             ウエストオーヴァー家の弁護士
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 そうではないのをエドワードは知っていた。手違いはない。フィリップ・ベントンはみずから望んで、私を娘の後見人に指名した。明らかでないのはその理由だ。
「この取り決めについては、私の弁護士がきみの父親と直接話をしている」エドワードは説明した。「法律により、きみは私の庇護下に置かれた」
「娘に後見人をつける理由があって? いまになって、それもこの年の娘に?」ケイトは棚に陳列された骨董(こつとう)品をのぞき込むかのように首をかしげて、彼を見つめた。「それに、あなたを選ぶ理由は?」
 エドワードはむっとして腕を組んだ。「私のどこが不服だ?」
「どこと言われても……」
 緑色の瞳が彼を品定めし、上背のある体を上から下へと視線でたどったあと、今度は太股から胸板、両肩、口もとと、目でなぞりあげる。その間、エドワードは身じろぎひとつせずにいたが、ケイトのまなざしが彼の目をとらえてじっと見つめると、からかうように眉をあげてみせた。
 ケイトははっと目を見開いてわれに返り、視線をそらした。
 気恥ずかしげな彼女のようすに、エドワードは微笑した。ケイトが彼に向ける素朴な関心がうれしくさえ感じる。エドワードは一年前から、下心を隠しもしない女性たちのまとわりつくような視線に絶えずさらされていた。以前は彼に見向きもしなかった女性たちが、いまは喜んでその身を差しだしてくるのだ。公爵の地位を継承したとたんに、女性たちの彼を見る目つきががらりと変わったのだから、あきれたものだ。
 だが、ケイトのような女性に、私の爵位には興味ひとつ持っていない女性に、こうして真剣な目で見つめられたのは初めてだ。そのまなざしは純粋でありながら大胆で、天使の体に悪魔が宿っているかのようだ。彼女にじっと見つめられると……悪い気はしない。
 ケイトが咳払いした。「あなたは赤の他人です。属している階級も父とは違いますし、社会的な交友関係があるとは思えません」
 その言い分は正しかった。エドワードは公爵だ、他人の靴を履いているような違和感があるにしろ。彼女の父親は紳士階級の中でも最下層に属し、エドワードのほうは社交界ではできるだけ交友関係を持たないようにしている。
「きみの父親とは、仕事上の取り決めを結んだ仲だ」それはあながち嘘でもなかった。取り決めはこちらが強要したもので、仕事というのは復讐ではあるが。だが、それについてケイトに話す気はない。相手が信用できるかどうかわからないうちはだめだ。父親のしでかしたことを知らないのなら、真実はケイトを傷つけるだけで、もしも彼女も一枚噛んでいるのなら、こちらの手の内をさらすのは危険だ。
 ケイトは立ちあがり、ゆっくり問いかけた。「どういうたぐいの取り決めですか?」
 エドワードは胸が締めつけられた。期待に満ちた彼女の表情から判断すると、ケイトは私が父親を破滅させたことも、フィリップ・ベントンは首まで借金に浸かっていて、あとは債務者監獄行きになるか、恨まれて誰かに殺されるかだったことも知らないらしい。
「私はきみの父親の財産管理人となり——」エドワードは説明した。注意深く言葉を選び、醜悪な詳細のうわべを糊塗(こと)する。「彼が負っていた責任を引き継いだ」
「つまり、いまは父の仕事をあなたが管理しているということ?」
 彼女の問いかけに滲むのは、非難ではなく感謝の念だ。エドワードはうなずき、思いがけない罪悪感が腹にずきりと響いた。
 ケイトは顔を輝かせてぱっと手を開いた。「ああ、それで説明がつくわ!」
「なんの説明だ?」
「昔から、父は事業への投資を繰り返していて……」安堵の笑いを漏らす。「後見人の契約書に署名したのも、仕事関係の書類だと思ったからでしょう」
 突然、ケイトはエドワードの首に両腕を投げかけ、うれしそうに笑いながら、彼の喉もとに顔を埋(うず)めた。
「ああ、ありがとうございます!」
 少しのあいだ、エドワードはそのまま動かずにケイトの胸もとのやわらかさとぬくもり、そして甘い香りを楽しみ、そのあと彼女の肩をつかんでさがらせた。相手は自分の被後見人であり、兄の仇(かたき)の娘であることを忘れる前に。
「ありがとうとは?」エドワードは慎重に尋ねた。私が後見人になったのは手違いだと言い張っていたのが、感謝のあまり飛びついてくるとは、ずいぶんな変わりようだ。
「ずっと心配していたんです」安堵の波に乗って、ケイトの口から言葉がほとばしる。「父は事業に手を出しては失敗するばかりで、投資先の会社は破産するわ、貿易会社の株券を買っても紙切れになるわで。ブランブリーにはもう……売り払えるものは何も残っていなくて。ああ、本当にありがとうございます!」
 ケイトはもう一度笑い声をあげると、つま先だって彼の顔を両手ではさみ、緑色の瞳を幸せそうにきらめかせた。エドワードの視線はふっくらとした唇に落ちた。彼女は感極まって私にキスをするだろうか。そうしてくれれば、どれほどいいだろう。
「ありがとうございます、エドワード、本当にありがとうございます!」
 初めて彼女に名前で呼ばれ、エドワードは体がすくんだ。ケイトは私のことを輝く甲(かつ) 冑(ちゆう)に身を包んだ騎士だとばかりに見つめているが、事実はそれとはかけ離れている。
「キャサリン」重苦しい声で呼びかけ、エドワードは彼女の手を自分の顔からそっと引きおろした。「きみは私に譲渡された義務のひとつにすぎない」
 ケイトの表情が困惑へと変わった。「それはどういう意味です?」
「フィリップ・ベントンが後見人の件を依頼したとき、彼は自分の娘がまだ幼い子どもであるかのように私に思わせた」
「それはあなたが思い違いをしたんでしょう」彼につかまれている手を振りほどいて、ケイトは顔をこわばらせた。「あなたがはやとちりしただけです」
 気の毒に。エドワードは喉が締めつけられた。ケイトは父親の愛情を信じているが、それが幻想なのは一目瞭然だった。フィリップ・ベントンは署名ひとつで娘を手放した。彼女の将来は一顧だにせず、その他の所有物と同じように。自分のひとり娘が、屋敷を追いだされて路頭に迷おうが、無理やり嫁に出されようが、オーストラリア行きの船に乗せられようが、気に留めることもなく。後見人として、エドワードはそのどれでも実行しうる法的権利を所有していた。そして公爵である以上、ケイトを好きなようにもてあそぼうと、彼が罪に問われることはない。
 ベントンはそれをすべて承知の上で、娘を私に渡した。見さげ果てた男だとは思っていたが、まさかこれほどまでとは。
「すまない、キャサリン」エドワードはそっと切りだし、心の底から詫(わ)びた。「だが、きみの父親は、自分が何をしているか明確に理解していた」