立ち読みコーナー
目次
424ページ
登場人物紹介
アリアドネ・オブ・ノーデンブルク            ノーデンブルクの王女
ルパート・カール・オクタヴィアン・ホワイト       ローズウォルドの摂政皇太子。エマの兄
エマ                          アリアドネの親友。ルパートの妹。ヴィッセンシュロス大公妃
ニック                         エマの夫。ヴィッセンシュロス大公
セルカーク卿                      アリアドネの求婚者
マーセデス                       アリアドネとエマの親友
シグリッド                       ルパートとエマの姉
テオドル                        アリアドネの元恋人
ミスター・ナイトブリッジ                アリアドネの恋人候補
トワイフォード卿                    アリアドネの恋人候補
ホッジス                        セルカーク卿の手下
オットー王                       シグリッドの夫
ピーター                        エマの息子
フリードリヒ                      エマの息子
37ページ~
 アリアドネは体をこわばらせた。ルパート皇太子は頭がどうかしてしまったにちがいない。手に触れていいとも言っていないのに、こんな乱暴なまねをするなんて、なにを考えているのだろうか。
「いったいなんのつもり? 放して」
「きみが最低限のことを理解したら放そう」
「最低限のことって?」
 ルパートの表情は厳しく、群青色の瞳が弱い光のなかでほとんど黒に見える。「まず、わたしがいとも簡単にきみの自由を奪ったこと、そしてきみをこの場にとどめておくのも造作ないということだ。わたしはきみよりはるかに力が強いんだよ、アリアドネ。抵抗しても無駄だ。わたしがいいと言うまで、きみはどこへも行けない」
 そんなことはない。アリアドネの全身が怒りでかっと熱くなった。ルパートがまちがっていることを証明したくて、必死にもがいて抵抗した。だがルパートはアリアドネの手首を片方の手で強く握りなおすと、そのまま後ろに押して歩かせた。アリアドネの背中が壁についた。
「これできみはますます身動きが取れなくなった」ルパートのささやき声が、温かなブランデーのようにアリアドネの肌に染みわたった。「負けを認める気になったかな」
 アリアドネは返事をする代わりに、ルパートの足を思いきり踏みつけた。だが薄いシルクの靴で上等の革靴を踏んだところで、相手は痛くもなんともないようだ。
 つぎにアリアドネは足を後ろへ引き、むこうずねを蹴ろうとした。ところがルパートはアリアドネの考えを読んでいたらしく、とっさに身をかわした。
「無駄だよ」ルパートは言った。「もうやめるんだ。きみがこんなに血気盛んだとは知らなかったな。こうなったらもっと強引な手段に訴えるしかない」
 ルパートはアリアドネに筋肉質のたくましい体を押しつけた。左右の脚を少しずつ開き、アリアドネの両脚をあいだにはさむ。
 きつく縛られたクリスマスのガチョウのように身動きができなかったが、アリアドネに降参する気はなかった。あごにぐっと力を入れ、ルパートからのがれようともがいた。
 だがルパートはびくともしなかった。
「これがわたしではなくて、ほかの男だったらと想像してごらん」ルパートは言った。「自分の欲望を満たすことしか頭にない男だ。きみをきずものにし、それがどういう結果を招くかも考えない。きみはそんなことを本気で望んでいるのか? くだらない考えは捨てるんだ。恋人を作るなんてとんでもない」
「そんなことないわ。候補者は慎重に選んでいるし、まずいくつか試験をして、わたしの人生に招きいれるにふさわしい男性かどうか確かめているから」
「なるほど、それがさっき言っていたキスの試験か。とても危険な試験だ」
「主導権はわたしが握ってるもの」
「ほんとうに?」ルパートは空いたほうの手でアリアドネの頬を包んだ。「これでもきみが主導権を握っていると?」
「こんなことは————」アリアドネはふたたび身をよじったが、腹立たしいことに動けなかった。「————起きないわ。あなたがいじわるしているだけじゃない」
「そうかな? もし恋人候補の男が同じことをしたら? きみが抱擁を終わらせたいと思っても、放してくれなかったらどうするんだ? さっきの男は途中で邪魔をされて、あまりうれしそうには見えなかったが。わたしが来なかったらどうなっていたことか」
「ミスター・ナイトブリッジは放してくれたはずよ」
 しかしそう口にしたとたん、アリアドネの確信は揺らいだ。ルパートの言うとおりだ。ミスター・ナイトブリッジはキスをやめてくれそうになかった。でもこれまではうまくかわしてきたのだから、今回もだいじょうぶだったにちがいない。ルパートはこちらを怖がらせようとしているだけだ。その手には乗らない。
「あなたの言いたいことはわかったわ。こんな茶番は早く終わらせましょう」
「まだだ。きみにはもうひとつ学ぶべきことがある」
 ルパートはアリアドネにそのことばの意味を考える暇を与えず、顔を傾けて唇を重ねた。