立ち読みコーナー
目次
432ページ
登場紹介
エル・コノリー        本名エル・トマソン。神経生物学者
ニック・ロス         特殊部隊〈ゴースト・オプス〉のメンバー
キャサリン・ヤング      神経科医。マックの妻
マック・マッケンロー     〈ゴースト・オプス〉のメンバー。キャサリンの夫
ジョー・ライアン       〈ゴースト・オプス〉のメンバー
ソフィ・ダニエルズ      エルの同僚
チャールズ・リー       〈デルフィ・プロジェクト〉責任者。アーカ製薬CEO
クランシー・フリン      元アメリカ陸軍大将。セキュリティ会社経営者
オーレン・トマソン      エルの父親。元判事。故人
164ページ~
「もしもし、ソフィ」さりげなくいった。「どうしたの——」
「エルよく聞いて時間がないの。テレビ電話にして」いわれたとおりにすると、自室を歩きまわっているソフィの顔が上下に揺れて映った。顔色が悪く、汗ばんでいて、不安そうに目を大きく見ひらいている。声はごく小さく、切羽詰まっているようだ。肩越しにさっと後ろを見て、また画面に目を戻した。「レスとロジャーはさぼったんじゃないわ。モイラも連絡が取れない。みんな捕まったのよ——どこかへ連れていかれたの。どこかわからないけど、まずいわ、エル。わたしたち……囲いこまれてたのよ!」ソフィは部屋から部屋へとうろうろしていた。「十五分前にナンシーから電話がかかったの、ナンシーはモイラから電話があったそうよ。すぐ切れちゃったんだけど、ナンシーの家の裏に黒装束の男たちがいるっていうの。武装してるらしいわ。ナンシーはクローゼットに隠れてるっていってたけど、もう電話が通じないの。モイラとレスとロジャーの電話も通じない。エル、逃げて。できるだけ急いで。武装した連中がだれだかわからないけど、まずいわ。わたしたちがつけられたセンサーは追跡装置よ、ナンシーがいってた。わたしは——」ソフィがぴたりと止まった。エルにも音が聞こえた。なにかが床に倒れた。
 彼らがこそこそせずに堂々と乗りこんできたことが、さらに恐怖をあおった。
 携帯電話の映像がぼやけ、不意に数人の人影が映った。
「センサーを取り出して、電話を捨てて逃げて!」ソフィの叫び声を最後に、電話が切れた。
 エルは震える手で携帯電話を体から離した——不可解にも、プラスティックの薄い透明な板が、ガラガラヘビ並みの危険物に変わってしまった。
 手を広げて携帯電話を落とした。もちろん、それくらいで壊れはしない。最新機種で、銃弾が当たっても壊れないところを撮った映像がネットじゅうにあふれている。爆弾処理班が着用する防護ベストと同じポリマー素材でできているのだ。
 床の上で携帯電話が鈍く光っている。これを通じて追跡されかねない。
 逃げなくちゃ! 
 すばらしい。逃げる、逃亡する。でも、体内に追跡装置があるのなら、逃げても無駄だ。
 明かりはつけなかった。つける必要がない。家のなかはすみずみまで知りつくしている。キッチンへ急ぎ、よく研いである小さなナイフを取り出し、バスルームへ走った。外に面した窓はないので、ドアを閉めれば、だれかが外で見張っているとしても明かりに気づかれる恐れはない。
 早く早く早く! 頭のなかで唱えながら、上腕に消毒薬をどぼどぼとかけた。ほとんど見えない程度の皮膚のくぼみに指先を当てると、感触があった——コロナ研究所がバイオセンサーだといっていた極小のチップが、そこにうまっている。一年後に取り出す予定で、データはグラフに記録されている。
 センサーの中身はランダムに与えられていた。被験者兼研究者の半数には、実験中の薬品であるSL︱61が投与され、残りの半分はプラセボが投与されていた。エルは自分がどちらのグループか知らないが、どちらにせよ、センサーが追跡装置なら、やることは同じだ。いますぐ取り出さなければならない。
 痛みを緩和するものはなかった。基本の救急セットがバスルームにあるきりだ。おまけに時間もない。
 エルは歯を食いしばり、ナイフで皮膚を切開して手を止めた。ひたいに汗がにじむ。電撃のような灼熱の痛みに慣れようとした。だめだ、慣れるわけがない。できるだけ手早くすませるしかない。刃先を返して正しい角度で抜いた。また手を止め、シンクにこうべを垂れた。痛みのあまり吐き気を催した。それがおさまるのを待ち、切れ目を入れた皮膚を持ちあげ、親指と人差し指を差しこんだ。それは思ったより深いところにあり、探らなければならなかった。二度、気を失いそうになって手を止めた。
 やっと人差し指の先がセンサーの端に触れた。関節ひとつ分が埋まっていた。顔をあげる。鏡に痛みにひきつり、唇からも血の気がなくなった青い顔が映っていた。深く息を吸い、指先をセンサーの下に差しこんで引き抜こうとした。
 悲鳴が漏れ、膝が折れた。左腕がシンクの縁に引っかかったおかげで、床に倒れこまずにすんだ。痛い! 切開したときよりもはるかに痛む。骨まで電流が流れているかのようだ。
 ああ。ソフィは急げといっていたのに! でも、この……これを外に出さないかぎり、どこにも行けない。バスルームのなかがやけに騒々しかったが、それが自分のあえぎ声と泣き声だと気づくのに、一分はかかった。