立ち読みコーナー
目次
472ページ
登場人物紹介
イザベラ・マッケンジー         マックの妻。スクラトン伯爵家の長女
マック・マッケンジー          イザベラの夫。キルモーガン公爵家の三男。画家
キャメロン・マッケンジー        マックの兄。キルモーガン公爵家の次男
ダニエル・マッケンジー         キャメロンの息子
イアン・マッケンジー          マックの弟。キルモーガン公爵家の四男
ベス・マッケンジー           イアンの妻
ハート・マッケンジー          マックの兄。キルモーガン公爵
ベラミー                マックの近侍。元プロボクサー
ロイド・フェローズ           スコットランド・ヤードの警部補。マッケンジー兄弟の異母兄弟
ルイーザ                イザベラの妹
エーンズリー・ダグラス         イザベラの親友。未亡人
モード・エヴァンズ           イザベラの侍女
エインズリー・ダグラス         イザベラの友人
サムソン・ペイン            事務員
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 マックは堅苦しい音楽会がどうしても好きになれなかったが、二日後の晩にイザベラの家で開かれると耳にしては、なにをおいても身なりを整えて出かけずにはいられなかった。
 馬車のなかでのキスを思い起こしては身体が疼き、このふた晩、満足に眠れていない。あのキスの続きを、つまりあれからさらにドレスの胸もとを引きさげ、コルセットから張りだした白くなめらかな乳房に舌を這わせていたならばと夢想していた。
 よく知らない女性より、わが妻に欲望をそそられるほうが、はるかに歯がゆいものだと身に沁みた。なにしろイザベラがすべてを脱ぎ去れば、どのような身体をしているかは知っているのだから、自分が恋しがっているものをはっきりと思い浮かべることができる。ともに暮らしていたときには、エヴァンズを追い払ってはその侍女に代わって妻の寝支度を手伝い、何度ドレスを脱がせたことだろう。それがいまはひとりきりのベッドに横たわり、イザベラの身体から一枚ずつ脱がしていたときのことを思い起こして汗ばみ、昂っていた——ドレスの胴着(ボデイス)、スカート、ペチコート、バスル、コルセット、ストッキング、シュミーズ。
 炉火の灯りがイザベラの肌を撫で、赤い髪を揺らめかせていた。そんな妻のあらゆるところにマックは口づけた。唇の柔らかさを、舌ざわりを、肌の感触をじっくりと味わった。両手で尻を包みこみ、太腿のあいだに手を滑らせて、熱い湿り気を探った。
 そこをおおう毛は髪ほど鮮やかな赤ではなく、ブランデーの色に近い。マックはイザベラを床やベッドに横たわらせ、もしくは肘掛け椅子に座らせたまま、舌で乳房から平らな腹部をたどり、燃え立つような悦びをもたらしてくれる太腿のあいだへ下りていった。
 ミスター・クレインの店でイザベラと鉢合わせして、そのあと馬車のなかできわどい甘美なやりとりを繰り広げた日の晩は、ベッドの上掛けを押しやって、屋根裏部屋へ上がり、何時間も絵を描きつづけた。
 このときはイザベラがベッドに横向きに寝ている姿を題材に選んだ。記憶を頼りに、彼女がゆったりと寝転んで、片方の乳房がたおやかにシーツにのっているさまを描いた。片脚はちょうど心地よさそうな角度に曲げられ、両腕で枕をかかえている。自然に力が抜けて垂らされた手。うつむき加減の顔は垂れた髪に半分隠され、太腿のあいだからもまたべつの毛の房が覗いている。
 夜会用のドレスをまとったイザベラの絵と同じように、背景は影がかかっているかのように淡い色を重ねてぼかした。寝具はクリーム色にして、イザベラの髪と唇と乳輪だけを鮮やかな色できわ立たせた。細い花瓶には蕾も含まれた黄色い薔薇——イザベラの絵にはこの花が欠かせない。署名を走り書きして、先に描いた絵の隣りに並べて乾かした。
 マッケンジー一族のキルトと黒の上着をベラミーに着せてもらいながら、はたしてイザベラもいる部屋で、この格子縞の布地の前を突き上げずにいられるのだろうかと思いめぐらせた。音楽会への招待状は届いていないが、それくらいのことで引きさがるつもりはない。
 
「通してくれ、モートン」マックはノース・オードリー・ストリートのイザベラの家に着くなり執事に迫った。
 かつてモートンはマックのもとで働いていたのだが、イザベラの人柄と女主人として家を取り仕切る才覚に魅了されてしまったらしい。イザベラはまだ十八歳にして、マックには見当もつかない、大勢の使用人たちを采配するすべを心得ており、家にやってきた日の翌朝にはさっそく様々な改善に取りかかった。マックはこれ幸いとその主導権を譲り渡し、好きなようにやってくれと告げた。そのイザベラが去ったとき、おのずとモートンも付いていったというわけだ。
 モートンは気どったそぶりで元の主人を見やった。マックより頭ひとつぶん以上も背が低いので、首から上をだいぶ後ろにそらさなければならなかったが、どうにか持ちこたえている。「失礼ながら、今夜の催しは、ご招待した方のみをお通しするようにと奥様から申しつかっておりますので」
「モートン、そんなことは承知している。だが、きみの給金はぼくが払っているのを思いだしてはもらえないだろうか」
 金のことを持ちだした不作法が気に入らなかったのか、モートンはよけいに鼻を高くそびやかした。「ご招待した方しか、お通しできません」
 マックは睨んでみせたが、モートンはなにしろきまじめな男だ。元主人がその気になれば、自分などたやすく持ち上げられて脇に放りだされてしまうのは承知のうえで、頑として引きさがろうとはしなかった。
「まあ、いいだろう」マックは言った。「奥様に、忠実な番犬をお持ちでなによりだと伝えといてくれ」
 そこにちょうど頭に巨大なダチョウの羽根飾りを付けた大柄な婦人が玄関先の階段をのぼってきたので、マックは自分の帽子のつばに触れて挨拶した。婦人はイザベラの放蕩夫が執事に追い返されたのをたまたま目にして、見るからに嬉々としていた。
 マックは演芸場で流行(はや)っている小歌を口笛で吹きつつ、速やかに流し場への降り口に向かった。軽やかに階段を下りて、勝手口から厨房に入る。蒸気に満たされた厨房にいた使用人たちが顔を振り向け、ぎょっとした表情で固まった。何列にも並べられた茶菓子のケーキに飾りつけをしていた料理人が手をとめ、持っていたスプーンから糖衣(アイシング)がぽたりと滴った。洗い場女中は甲高い声をあげ、油で汚れた布巾を石敷きの床に落とした。
 マックは帽子を脱いで手袋を取り、従僕に押しやった。「ちょうどよかった、これをあずかっておいてくれ、マシュー。シードケーキの味見をしてもいいだろうか、ハーパー夫人。きょうは茶を飲む時間も取れなかったんだ。あなたに会えて幸運だ」
 言い終わらないうちにシードケーキの小さいひと切れをつまみ、口に放り込んだ。かつてはキルモーガン公爵邸で料理人の助手をしていた料理人にウインクする。ハーパー夫人は少女のように頰を染めて応じた。「お好きになさってくださいませ、坊ちゃま」
 マックはケーキを食べながら階段を上がり、最上段で指を舐め、緑色の粗い羅紗張りのドアを押しあけた。廊下に出ると、またもあのダチョウの羽根飾りを頭に付けた婦人にあやうくぶつかりかけた。薄青い目を見張っている婦人に軽く頭をさげて挨拶し、先に客間に入るよう身ぶりで勧めた。