立ち読みコーナー
目次
728ページ
登場人物紹介
アリクサンドラ(アリックス)・マドスン       建築学校を卒業したばかりの女性
ジャレッド・モンゴメリー・キングズリー       建築家
ヴィクトリア・マドスン               アリックスの母親
ケネス(ケン)・マドスン              アリックスの父親
イジー                       アリックスの友人
グレン                       イジーの婚約者
アデレード(アディ)・キングズリー         ジャレッドの大おば
レクシー                      ジャレッドのいとこ
ウェス・ドレイトン                 ジャレッドのいとこ
ディリス                      ジャレッドのいとこ
トビー                       レクシーのルームメイト
ジリー・タガート                  家族史研究家
フレデリック・ハントリー              「ナンタケット歴史協会」会長
ケイレブ・ジャレッド・キングズリー         ジャレッドの祖先
ヴァレンティーナ・モンゴメリー           ケイレブが恋に落ちた女性
122ページ~
 彼が肉体的にわたしに惹かれているのはわかっていた——女は、そういうことにはつねにぴんとくるのだ。でも、いくらセクシーだろうと、もはや彼に興味はない。わたしは偉大なるジャレッド・モンゴメリーがものにした女のひとりになりたいわけじゃない。下唇がなによ。わたしがほしいのはひとりの人間としての男性だ。体の一部分だけじゃなしに。
 彼女は立ちあがった。「ごめんなさい、後片づけをお願いしてもいいですか? ひどく疲れてしまったので、もう休みます。二度とお会いすることはないかもしれませんね。夕食をごちそうさまでした、ミスター・キングズリー」当てつけるようにその名を口にした。
 ジャレッドが席を立ち、握手をするか頰にキスするかというそぶりを見せたが、アリックスはくるりと背中を向けて部屋を出ていった。
 ジャレッドはその場に立ったまま、しばらく彼女を見送っていた。まさかとは思うけれど、どうやら怒らせてしまったらしい。なにがいけなかったんだ? おばのことを尋ねただけなのに。さっぱりわけがわからない。
 椅子に腰を落とし、アリックスが作ったラムとパイナップルジュースのカクテルを取りあげた。彼の好みではないものの、大おばを思いださせる味だった。自分のグラスに年代物のラムを注ぎ、舐(な)めるように飲みながら、祖父がいまにも部屋にあらわれて大声で怒鳴りつけてくるのではないかと思ったが、そこにあるのは静けさだけだった。アリックス・マドスンが予定より早く到着して、この屋敷にいることをジャレッドに黙っていたのは、いかにもじいちゃんらしかった——それに、彼女がここで“制作に当たって”いることも。魔法の杖でもなければふつうの人間には建てられないような、奇妙奇天烈な建物をデザインしているのだろうか? 
 椅子にもたれ、ラムをちびちびやりながら、ハッシュパピーの残りを食べた。これまででいちばんうまいハッシュパピーだった。
 アディおばさんが溺愛していたアリックスに惹かれるなんて愚の骨頂だというのはわかっていた。アリックスが初めてここにやってきたとき、彼女は四つでジャレッドは十四歳だった。居間の床に座って建物を作るのが好きな、かわいらしい女の子だった。その子どもが鯨の歯や骨を使った貴重な彫りものや中国の骨董の茶筒、日本の根付けなどを積みあげて遊んでいるのを見て、歴史協会の会長が気を失いかけたあの日、ジャレッドは家に帰ると屋根裏部屋をひっくり返して、レゴブロックが入った古びた箱を見つけだした。母さんはブロックを食器洗い機にかけるといって聞かなかった。あなたが小さな女の子のためにこんなやさしいことをするなんて、とひどく喜んでいたのをおぼえている。なにせ、当時のジャレッドは理想的な息子にはほど遠かったからだ。父親のジャレッド六世が死んだのが二年前で、ジャレッドはまだそのことに激しい怒りをおぼえていた。ブロックはあなたが自分で持っていきなさい、と母はいった。
 レゴブロックを見たことがなかったアリックスは、それがなにかわからなかった。ジャレッドは床に腰をおろし、使いかたを教えてやった。アリックスは大喜びし、ジャレッドが帰ろうとすると彼の首に抱きついてきた。ソファに座り、かわいいアリックスを見守っていたアディおばさんは、そんな様子を見るとこういった。「ジャレッド、あなたはいつかすばらしい父親になるわね」
 部屋のうしろのほうで浮かんでいた祖父ケイレブが鼻を鳴らした。「だが、ろくでもない亭主になる」そのころの祖父は、ジャレッドが刑務所で一生を送ることになると信じていたのだ。だがおばが近くにいるときジャレッドは、父のいいつけどおりに、祖父の声が聞こえないふりをしていた。
 ところが、すべて聞こえていたアリックスは、ひどく真剣な顔でジャレッドを見あげて「あたしがお嫁さんになってあげる」といった。ジャレッドは顔を真っ赤にしてあたふたと立ちあがり、ケイレブは大笑いした。
 その後、アリックスがレゴで作った複雑な建物を見て、ジャレッドはすっかり感心してしまった。四歳のときのおまえが作っていたものとは雲泥の差だ、とケイレブはいった。アリックスはプレゼントのお礼にと、アディおばさんの庭で摘んだ花束を彼にくれた。その夜、ジャレッドは仲間と出かけ、酒に酔って、留置所で一晩明かした。当時、それは別段珍しいことではなかったが、小さなアリックスを見たのはそれが最後になった。初めて書いた小説の出版が決まるとすぐ、ヴィクトリアは娘とともにナンタケットを離れ、二度と島に連れてくることはなかった。
 ジャレッドの意識が現在に戻った。やっぱり島を離れたほうがよさそうだ。ディリスにアリックスのことを話して、いとこのレクシーとその同居人のトビーに紹介してもらおう。そうすればアリックスは一週間もしないうちに、夏のイベントが目白押しのナンタケットでの生活を満喫しているだろう。そしてジャレッドはニューヨークに戻り、そこでなにかを作るのだ。なにか知らないが。それに、いまはちょうど誰ともつきあっていないから、どこかで……。ちくしょう! アリックスの瞳が、口が、体が、頭から離れない。
 これはまずい。アリックス・マドスンは世間知らずで初心(うぶ)な女の子だ。手を出してはいけない。そう、できるだけ早く島を離れたほうがいい。