立ち読みコーナー
目次
408ページ
登場人物紹介
アナベル・ウィズラム         イングランドの領主の次女
ロス・マッケイ            スコットランドの領主の長男
キャサリン(ケイト)・ウィズラム   アナベルの姉
ウィリアム・ウィズラム        アナベルの父
ジョーサル・マクドナルド       マクドナルド家に嫁いだロスの妹
ビーサム(ビーン)・マクドナルド   スコットランド領主。ジョーサルの夫
ショーナク              アナベルの侍女
エインズリー             ロスのおじ
オウエン               ロスのおじ
フィンガル              ロスのおじ
マラフ                ロスの部下
ギリー                ロスの部下
ランソン・マッケイ          ロスの亡父
デレク                ロスのいとこ
ミリアム               デレクの母
グラント               ケイトの駆け落ち相手。ウィズラム家の厩番頭の息子
エフィ                お針子
アンガス               マッケイ家のコック
(48ページ〜)
 アナベルは苦しげに息を吐き、もうひと口飲んだ。正直、早く床入りの儀をすませてくれないかと思いはじめていた。すっかり酔いつぶれているわけではない。たしかにろれつは少しあやしくなっているが、何も感じなくなっているし、ただひとつわかるのは……なんだかやけに部屋がゆらゆらと揺れているように見えるということだけだ。でもそれは部屋に問題があるのであって、彼女のせいではない。
 唇のあいだからしゃっくりが飛び出した。アナベルは急いで口をおおい、あやういところで照れ隠しのくすくす笑いをこらえた。ああ、おしっこがしたくてたまらない。そのまま口にしたらお行儀が悪いかしら? それとも、言い訳をして部屋から出るべき? 修道院では生理現象のような品のないことは絶対に口にしなかったけれど、たぶん修道院の外では許されるのだろう。でも、なんと言って出ていけばいい? どこに行くのかときかれたら?
「妻よ」
 アナベルはあたりを見まわしてから、彼に目を戻し、驚いたように言った。「ああ、わたしのことね」
 どういうわけか、それがなんだかおかしくて、またくすくす笑っていた。
「気分はどうだ?」アナベルをじっと見つめながらロスが尋ねた。
「おしっこがしたい」と答えたあと、あわてて手で口をふさいだが、結局手を離してつぶやいた。「ちくしょう、言っちゃった」そしてすぐにぎょっとしたような「ああ、ちくしょう、ちくちょうって言っちゃった」がつづいた。ののしりことばは修道院では固く禁じられていたのだ。
 どういうわけかそのことばがロスにはおもしろかったらしい。彼のきれいな黒っぽい目がきらめいて、ひどくいかめしい口元がくいっと上がったのでそれとわかった。なんてきれいな目なのかしら。
「ありがとう」ロスはうなるような声で言った。「きみもだよ」
「わたしもなんですって?」彼女はわけがわからずにきいた。
「きみもきれいな目をしている」彼は説明した。
「わたし、あなたはきれいな目をしているなんて言ってないわ。でしょ?」彼女が眉をひそめてきいた。心のなかで思っただけのはずだ。
 彼は微笑んだままかすかに首を振ったが、わざわざ答えるつもりはないようだった。その代わりに、かがんで彼女から毛皮とシーツを引きはがすと、こう言った。「おいで、手洗いに連れていってあげよう」
「あら、だめよ」アナベルはベッドから出ようともがきながら、急いで言った。「その必要はないわ、あなた(三字ルビ、マイ・ロード)。場所ならわかっています。昔住んでいた……まあ」アナベルは驚いて息をのんだ。立ちあがったところ、部屋が激しく揺れていたからだ。
 ロスがすぐに手を伸ばして彼女を支え、アナベルは彼の胸にもたれてしばらく目を閉じた。つぎに目を開けたときは、部屋がもう揺れていないことを願いながら。少ししてから恐る恐る目を開け、自分を抱いている男性を仰ぎ見た。とてもすてきな顔だわ。ほかの人と比べてハンサムだと判断できるほど多くの男性を見てきたわけではないし、これまでずっと彼の顔は少しいかめしかった。だが、心配でたまらない様子の今は、すてきだと思った……そして、その顔がどんどん大きくなっているのはなぜだろうと思わずにいられなかった。唇に彼の唇が触れそうになったようやく、近づいているから大きくなっているのだとわかった。
 唇に触れた彼の唇は花びらのようにやわらかく、いろいろな点でアナベルは驚いた。彼の外見からして、乱暴で攻撃的なキスをするのだろうと思っていたからだ。彼が唇に力をこめると、理由はわからなかったものの、彼女は唇を重ねたまま微笑んだ。すると舌で唇をたどられたので驚き、キスのときはこうするのが普通なのか、自分も同じようにするべきなのか尋ねようと口を開けたところ、これ幸いとばかりに彼の舌が口のなかにすべりこんできたので、ぎょっとすることになった。
 口が二枚の舌を収めるようにできていないことは承知していたが、口のなかに彼の舌を感じるのはとても心地よかった。舌と舌をからませ合い、口のなかがいっぱいになる感覚は、びっくりするほど刺激的で、アナベルは本能的に口を大きく開き、両手は彼の腕から上に移動して首に巻きついた。
 ロスは彼女の後頭部を大きな手でつかみ、わずかに角度を変えてキスしやすくすることでそれに応えた。そして両手をお尻までおろして彼女を持ちあげながら体を起こした。そうすればかがみこまなくてもいいからだろうとアナベルは思ったが、その動きのせいで、ふたりの体はなんとも興味深い形で触れ合うことになった。
 太腿のうしろを抱えられ、脚を引き寄せられて彼の腰にまわされたとき、アナベルは抵抗するどころか、むしろ自分からそうしていた。ところがロスはそこでキスをやめ、ベッドに向かおうとしたので、抱かれていたアナベルは少しずり下がり、脚の付け根に異質な硬いものが触れた。その衝撃で経験したことのない興奮が体のなかを駆け抜け、アナベルは彼の肩にしがみつきながら、頭をのけぞらせて、息ができないかのようにあえいだ。頭をのけぞらせたのがよくなかったのだろう、落ちていくような感覚に陥り、目を開けると世界は形を失っていき、やがて真っ暗になった。

 アナベルがうしろ向きに落ちかかっているのに気づいたロスは、彼女を胸に抱き寄せた。そして信じられない思いで、腕からだらりとたれた彼女の頭を見おろした。失神しているとわかって仰天し、面倒なことをしてくれた彼女をにらむ。だが、すぐにため息をついて彼女をベッドに寝かせた。しばらくは起こされたくないだろう……こうなったのはすべておれのせいだ。おれが飲めとしつこく勧め、アナベルはおとなしくそれに従っただけなのだから。
 彼女を適度に酔わせて、床入り用シュミーズを脱ぐよう誘導するつもりだった。充分に酒を飲めば、彼女に教会の規則を忘れさせ、性行為を楽しめるようにくつろがせることができるだろうと期待していた。計画はもう少しでうまくいきそうだった。彼女はたしかに歓びを抑えることなくキスを楽しんでいるようだったし、意識を失いさえしなければさらにもっと楽しんでいたはずだ。だが残念ながら、彼女には酒量が多すぎたらしい。弁解させてもらえば、彼女はかなりうまくこの状況に対処していた……失神する直前までは。