立ち読みコーナー
目次
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登場人物紹介

ケイト・ギルバート    カリブ海の島国カステラーノに暮らす女性
ボウ・ラントリー     財閥の御曹司
ジェフリー・ブレンダン  ケイトの父親がわり
ジュリオ・ロドリゲス   ケイトの友人
ラルフ・デスパルド    麻薬密売組織のボス
ダニエル・シーファート  ボウの船の船長
コンスエロ        漁村に住む未亡人。ジュリオの愛人
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 女はまだ耳元でささやきつづけていて、ボウは本来ならそれに耳を傾けているべきだった。きっと金の話だろう。ケチだと思われて機嫌を損ねられては困る。だがまだ夜ははじまったばかりだし、あわてることはない。こちらが気のないそぶりをしたら、もっと手のこんだ誘惑を仕掛けてくるかもしれないな。ボウはこの二年ほどのあいだに各地で訪れた何百という酒場となんらかわり映えしない、煙った店内をなんの気なしに見まわした。
 そして勇敢でひたむきな、澄んだ深いブルーの瞳と出会った。
 その瞬間、ボウは急に胸が締めつけられたように感じた。これほどまっすぐなまなざしの持ち主にはかつて出会ったためしがない。自分の激しい反応に、ボウはとまどった。おそらく黒い瞳のラテン人種ばかりの店で、予想外に青い瞳に出会ったせいでふいを突かれたのだろう。その女性は、そこまで動揺するほどの美ぼうというわけではなかった。二十代はじめぐらいで、濃い睫毛に縁取られたあのたぐいまれな瞳以外はごく月並みな容貌をしている。形のよい唇ははかなげな感じで心をそそられるが、美女というには鼻が上向きすぎているし、体つきもグラマーとはほど遠い。
「あんな子がいいの?」リアンがボウの視線の先をたどり、きつい口調できいてきた。「がりがりじゃない。服を脱いだら骨と皮よ」
「そうかな?」ボウはカウンターの前に立つ女性を眺めながら、気楽そうに答えた。平均よりやや背が高く、何度も洗いざらして白っぽく色あせたジーンズをはいている。それよりやや青みのある男物のシャツの裾でヒップはすっぽり隠れている。彼女はすでにボウから目をそらし、反対側の奥のテーブル席をなにやら緊張した様子で見つめていた。「あんなだぶだぶのシャツとジーンズを着ていたら、外から見てもわからないじゃないか。彼女、知りあいかい?」
 リアンは肩をすくめた。「ケイトとかいう名前だと思うけど。この辺りで何度か見かけているわ」言いながら身を乗りだして、豊かな胸の谷間を見せつける。「あたしみたいに売れっ子じゃないから、ほかの場所へあなたを連れていかなきゃならないはずよ。ヘクターが奥の部屋を使わせてくれるのはあたしだけなの」
「きみだけ特別扱いしてもらえる理由はよくわかるよ」ボウは女の手を腿から離して言った。ふいに豊満な胸が大きすぎるように感じられ、魅力もありきたりなものに思えてきた。
 ケイトという女性は奥のテーブル席へ向かって、優美な足取りでさっそうと歩いていく。カールした茶色いショートヘアは、陽にさらされてところどころ金色になっている。赤ん坊の髪のように柔らかそうで、シャンプーのコマーシャルみたいにつややかだ。肌も柔らかそうだな。ボウはジンジャーエールのグラスを口元に近づけながら思った。突然、あの肌に触れたいという衝動がこみあげてきた。
「じゃあ、あたしと一緒に来るのね?」リアンがなまめかしい笑みを浮かべてきいてきた。
「え、なんだって?」ボウはグラスを置くと、席を立った。「また今度にするよ」ボウはテーブルに気前よくチップを置いて、青い瞳の愛くるしいケイトのほうへゆっくりと歩きだした。
 思わず触れたくなるほどシルクのようになめらかな肌。あの男物のシャツを脱がせたらどんなに愛らしいことだろう。リアンが言ったように細身かもしれないが、健康的で女らしい小ぶりのヒップはなかなか魅力的だ。これほどの誘惑的な眺めに抵抗するのは難しい。
 ただひとつの問題は、当のレディにはお目当てがいるらしいことだ。彼女が足を止めたテーブル席にはふたりの黒髪の男がいた。半分空になったバーボンのボトルがあり、片方の男は酔いつぶれている。少なくともそっちのほうとは、ケイトを取りあわずにすみそうだ、とボウは思った。じゃまなのは豚みたいに小さな目でにやにやしながら彼女を見ているひげ面の男のほうだ。金で手を引かせるか? それでだめなら、思っていたよりおもしろい晩になりそうだ。ボウは不敵な笑みを浮かべ、足を速めた。シルクの肌のケイトと夜を過ごせるなら、軽い取っ組みあいのひとつやふたつはする価値がある。
 ケイトはいま、ひげ面の男になにか話しかけていて、男は片手をのばして彼女のお尻をさわっている。彼女のほうは気にしていないようだが、ボウは妙に独占欲に駆られている自分に気づいた。いらだたしげに肩をすくめてそんな思いをふり払う。まったく、乗り気な酒場の女と一晩きりのお楽しみを目当てに来たはずが、いったいどうしたっていうんだ? 
 しかし目指すテーブル席へ着いても、独占欲は冷めやらなかった。ケイトという女性は話すのをやめて、息をのむほど鮮やかなブルーの瞳を驚きに見開き、ボウを見つめた。
 ボウは冗談めかしておじぎをした。「交渉のじゃまをして申しわけない。話が進んでいたら悪いんだが、ぼくもお誘いを、いや、入札をさせてもらえるかな」