立ち読みコーナー
目次
656ページ
登場人物紹介

キャロライン・ダーウェント=ジョーンズ  〈ハニーメッド館〉の女主人
フレデリック・ノース・ナイティンゲール  チルトン子爵。〈マウント・ホーク〉の主人
ローランド・ファルクス          キャロラインの後見人。キャロラインの亡父のいとこ
オーウェン・ファルクス          ローランドの息子。キャロラインの幼なじみ
エレノア・ペンローズ           キャロラインのおば
ベンジャミン・トリース          医師
ベス・トリース              ベンジャミンの妹
ベネット・ペンローズ           キャロラインのいとこ。エレノアの甥
クーム                 〈マウント・ホーク〉の執事
トリギーグル              〈マウント・ホーク〉の家政夫
ポルグレイン              〈マウント・ホーク〉の料理人
ティミー                〈マウント・ホーク〉の新しい召使い
ブローガン                ペンローズ家の弁護士
アリス                  エレノアに保護された娘
イヴリン                 エレノアに保護された娘        
メアリー・パトリシア           エレノアに保護された娘
ラファエル・カーステアーズ        元船乗り。ノースの隣人
ヴィクトリア・カーステアーズ       ラファエルの妻
フラッシュ・セイヴォリー         元すりの青年
マーカス・ウィンダム           チェイス伯爵。ノースの友人
ジョゼフィーナ              マーカスの妻。通称“妃殿下”
(75ページ)

 チルトン卿の天蓋付きのやわらかな羽根マットレスのベッドで、キャロラインはたっぷり六時間眠った。彼女の眉をそっと指先でなでて起こしたのは、彼だった。なんという妙な感覚。なぜか落ち着くような、それでいてとてつもなくなまめかしくて。それがなんとも否応なしに心を惹かれる感覚だったので、彼女はなにも言わず、息だけついた。すると指先の動きが止まって離れた。
「目が覚めたな、ミス・スミス。目を開けろ。もう正午近い。クロリンダに懇切丁寧にお願いして、きみに昼食を出してもらい、髪の毛は引っこ抜かれないようにしておいたぞ。きみがおれのベッドにいることを知られているし、昨夜きみがマッキーのひざに座って彼のエールを飲んだことからあらぬ想像をされてるものだから、たいへんだったんだぞ」
 しかしキャロラインは、もっと眉をなでてくれればよかったのにと思っていた。目を開け、彼を見あげる。顔から数インチというところまで、彼は身をかがめていた。
「あなたの目、とても深い、濃い色なのね」キャロラインは言った。「黒じゃないけど、茶色でもないわ。ご両親はムーア人?」
「いや、だが、おれの母にはアイルランドの血が混じっていたと聞いている。おかしなことだが、その母よりも、おれの瞳のほうがまだ色が濃いそうだ。目のほかは、少なくとも外見は父に似ているらしい。外見以外のことは、毎朝、心から、父譲りでなければと――」彼はそこで口をつぐみ、眉を寄せた。「こんなことを言うつもりじゃなかった。どうかしている」
 キャロラインは手を上げ、彼の眉を指先でそっとなぞった。まず片方を、そしてもう片方も。彼は動かず、ただ彼女を見おろしていたが、表情は読めない。
「オーウェンの具合はどう?」
「文句を言ってる。いい兆候だ」
 彼女は手をおろし、軽く彼の肩を押しやった。彼は体を起こし、立ちあがった。彼女も起きあがってのびをする。「ずうずうしいわね、文句を言ったり、めそめそしたり。自分が病気になって足止めさせてるくせに。それを、わたしのせいみたいに不満たらたら。神さまはお見通しよ」
「まあ、あいつも男だから、ミス・スミス」
「男にもなってない、お子さまよ。いまから文句を言ってて、あと五年経ったらどうなるのやら」
 また、彼はくすくす笑った。やはりかすれた声で。でもキャロラインは、自分が彼を笑わせたことがうれしかった。彼女は彼を見あげてもう一度のびをし、彼のベッドからおりた。足で室内履きを探して履き、脚を曲げて足首のリボンを結んだ。
「おれのような紳士のいる前でも、ふしぎときみは緊張しないんだな、ミス・スミス。足首さえ見せるとは。そんなに気前のいい娘には会ったことがないぞ」
「じゃあ、見なければいいでしょ。そこにあなたが立ってるんだから、こうしないとリボンが結べないの」
「たしかに。さあ、階下に行って昼食にしよう。オーウェンはミス・クロリンダが見ていてくれる。たぶん、またべつの理由であいつは熱を出すかもしれないが」
「どういうこと? まさか、ワインとか牛肉とか、胃に重いものを食べさせられてるんじゃないでしょうね?」
「いいや、ミス・スミス、食べさせてるのは、はちみつを少しのせたオートミール粥だ」
「よかった、もうそんな心配させないで。あら、いやだ、ひどい髪」
 チルトン卿は黒髪が一本ついた櫛を彼女にわたし、ベッドサイドテーブルに置いてある小さな鏡を指さした。彼女がもつれた髪をとかし、鏡のそばにあった水差しの水を顔に跳ねかけるところを、彼はドアのそばで腕組みをして見ていた。彼女はさらに、やわらかなタオルで頬を軽く押さえた。
 これまで女性が身じたくするところを見たのは、一度きりだった。あのとき彼はまだ青二才と言っていいほどの若造だったが、女の姿をほんの一瞬思いだしただけで、胸が張り裂けそうになる。彼女の顔は陰になって、はっきりと思い浮かべることもできないというのに。彼女のハミング、笑顔を思いだす。輝くような笑顔。それは彼に向けられたものだった。チルトン卿は向きを変えてドアを開け、せまくてほこりっぽい廊下に出た。
「行くぞ、ミス・スミス」