立ち読みコーナー
目次
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登場人物紹介

クレア・マースデン        伯爵令嬢
エドワード(ネッド)・バイロン  クライボーン公爵
エッジウォーター伯爵       クレアの父
ケイド              エドワードの弟
メグ               ケイドの妻
ジャック             エドワードの弟
グレース             ジャックの妻
ドレーク             エドワードの弟
レオ               エドワードの双子の弟
ローレンス            エドワードの双子の弟。レオと双子
マロリー             エドワードの妹
エズメ              エドワードの末の妹
アヴァ              公爵未亡人。エドワードの母
アダム・グレシャム        バイロン家の古い友人
ヴィルヘルミナ・バイロン     バイロン家の親戚の未亡人。クレアのお目付け役
イズリントン卿          放蕩者の貴族
フェリシア・ベティス       エドワードの元恋人
フィリパ・ストックトン      ジャックの元恋人
レネ・デュモン          フランス人亡命貴族
エヴェレット卿          通称”ル・レナール”。スパイ
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 クレアは身に着けた上等なドレスをさっとなでつけた。淡いブルーをした長袖のベルベットのドレスで、ウエストの高い位置で紺のリボンが結ばれ、袖口と襟にレースの飾りがついたデザインだ。それからひとつ深呼吸をし、後ろをふりかえって妹たちを見た。「幸運を祈っててちょうだい」
 ナンとエラはにっこり笑ってクレアに近づき、その体を強く抱きしめた。「がんばって!」
 クレアはふたりを残し、部屋を出て階段を下りた。妹たちは幸運を祈ってくれたが、それは自分の願う幸運とはちがうものかもしれないと、ふと思った。
 十五分後、応接間で母のとりとめのない話を上の空で聞いていると、エドワードが入口に現われた。椅子に座っていたからよかったようなものの、もしそうでなかったら、ひざが震えて立っていられなかっただろう。心臓が胸を破りそうなほど速く打ち、緊張で胃がねじれそうだ。思いきって顔を上げると、エドワードの濃紺の瞳と視線がぶつかった。
 窓越しにちらりと見たときに思ったとおり、やはりエドワード・バイロンはいままで会った中で一番ハンサムな男性だ。名高い彫刻家が彫ったような端整な顔立ちをしている。秀でた額にまっすぐな鼻、凛々しい頬の線。あごはがっしりしてたくましい。唇の形も男らしく完璧だ。上唇よりわずかに下唇のほうがふっくらし、微笑むと思わず目を奪われる。
 豊かな髪はマホガニー色をし、人の心の奥まで見抜くような瞳の上に、すっとした眉が生えている。本人のそのときの気分によって、おそろしそうにも優しそうにも印象の変わる顔だ。体形はというと、広い肩幅に厚い胸、筋肉質の腕と脚をしている。
 けれどなによりも目を引くのは、その威厳あるたたずまいだ。もちろん公爵なのだから、それは当然のことかもしれない。それでもこの威厳は、エドワード・バイロンという人がもともと備えているものではないだろうか。いくら身分が高くても、これほど自然な気品と自信に満ちあふれた人をほかに知らない。人の上に立つ者として生まれ、その資質にも恵まれたクライボーン公爵は、どんな場所にあっても圧倒的な存在感を放っているにちがいない。それはいまこの場でも同じだ。
 なんて素敵なんだろう。クレアはひそかにため息をついた。なのに、あの人は知らない相手を見るような目でこちらを見ている。でもそれはしかたのないことだ。自分たちはお互いのことをほとんど知らないのだから。
 クレアは目をそらして立ちあがると、気持ちを落ち着かせて内心の動揺を顔には出さないよう努めた。
 エドワードが部屋の奥に進み、クレアの前で立ち止まって優雅なお辞儀をした。「レディ・クレア」
 クレアもひざを深々と曲げてお辞儀を返した。「閣下」
 エドワードは次にクレアの母親と挨拶を交わした。伯爵夫人はしきりに天気の話をし、それから公爵がわざわざ出向いてくれたことに対して大げさなほど礼を言った。エドワードとクレアが婚約していることを考えれば、それは少々@滑稽{ルビ/こっけい}でもあった。ようやく母が口を閉じ、意味ありげな目でふたりの顔を交互に見た。そして女中頭と相談しなければならないことがあるからと言い残し、応接間を出ていった。
 ドアが閉まると、部屋はしんと静かになった。
「いかがお過ごしでしたか」しばらくしてエドワードが言った。「お元気そうでよかった。前回お会いしたときより、ずいぶん大人になられましたね。背も高くなったのでは?」
「ええ、二インチか三インチ高くなったと思います。女は好むと好まざるとにかかわらず、十六歳を過ぎても身長が伸びるものですわ」
 エドワードの目が輝いた。「ちょうど妹と同じくらいの身長ですね。妹のレディ・マロリーに会ったら、ぜひならんで比べてみてください。あなたたちはきっと気が合い、仲良くなると思います」
「ありがとうございます。レディ・マロリーは素敵なかたなんでしょうね」
 エドワードは優しい笑顔になった。「ええ、かわいい妹です」
 そこでいったん言葉を切り、椅子に座るようクレアをうながした。クレアはさっきまで座っていたソファではなく、クッションのきいたアームチェアに腰を下ろした。クレアが座ったのを見届けてから、エドワードもそろいの椅子に腰を下ろした。大きなたくましい体だが、窮屈で座りにくそうなそぶりはまったく見せなかった。
 クレアとエドワードの椅子のあいだは四フィートばかり離れている。だがふたりのあいだには、それよりずっと大きな隔たりがあるように感じられた。
 エドワードが先に口を開いた。「ご存じだと思いますが、さっき父上とお話をさせていただきました」
 クレアはひざに置いた手にぐっと力を入れ、マントルピースの上の花びんに目をやった。この季節には庭に花がなにも咲いていないので、花びんは空っぽだった。
「いつでも結婚の準備を進めていいと、お許しを頂戴しました。結婚式の日程と場所は、あなたが決めてください。この近くでもいいですし、わたしの主領地のブラエボーンでも結構です。敷地内に素晴らしい礼拝堂があるのですが、あなたもきっと気に入ってくださると思います」
 クレアはごくりとつばを飲んだ。公爵が返事を待っていることはわかっていたが、なにも言わなかった。
「それとも、ロンドンでの挙式をお望みですか? それなら聖ジョージ礼拝堂が一番いいでしょう。おととしの夏、弟のケイドもそこで結婚式を挙げました」
 エドワードはもう一度クレアの返事を待った。
 緊張のあまり、クレアは胸の鼓動が速くなった。やがて顔を上げ、エドワードの目を見据えた。「閣下、正直に申しあげると」勇気をふりしぼり、きっぱりと言った。「わたしはどれも気が進みません」
 エドワードは褐色の眉の片方を高く上げた。「どこかほかにご希望の場所でも?」
「いいえ。そうではなくて、やめたほうがいいと思います」
「やめたほうがいい?」エドワードは困惑した。「なにをですか?」
「結婚を。わたしは結婚するつもりはありません」