立ち読みコーナー
目次
600ページ
登場人物紹介

アン・ベディントン      ノーブルック子爵家出身の娼婦
デヴォン・オードリー     マーチ公爵
トリスタン・ド・グレイ    デヴォンの友人。アシュトン伯爵
キャロライン         デヴォンの妹。キャヴェンディッシュ伯爵夫人
リジー            デヴォンの妹
ウィン            デヴォンの妹
トレッドウェル        マーチ公爵家の執事
ベケット           マーチ公爵家の従僕
セバスチャン・ベディントン  アンのいとこ。現ノーブルック子爵
マダム・シン         娼館の女主人
ミック・テイラー       マダム・シンの用心棒
コーディーリア・ド・モーネイ アンの母方の曾祖母。ロスシャー侯爵夫人
キャット・テイト       アンの友人。貴族の愛人
(96ページ)
「ドレスを脱いで」
 アンは命じられたとおりに、ドレスの襟を肩からおろした。
 シュミーズ姿で公爵の前に立つと、彼は尋ねた。「なぜここまでしてくれるんだ? 手紙を読んでくれた。おれのむさ苦しいなりをなおそうとしてくれた。そこまでして、おれのもとにいようとするのはなぜなんだ? もとの雇い主から逃げるためだけじゃないだろう?」
「マダムのことがほんとうに怖いの。それに、貧乏も怖い。だから、閣下の愛人になりたいんです」すらすらとことばが出てきた。ほんとうのことをいうのが怖く、うっかり真実を漏らしてしまうのが怖く、だからこそ、ぺらぺらとまくしたてた。秘密というものは胸に重く、隙あらば外に出ようとするが、それはどうしてなのだろうか。
 公爵に秘密を打ち明けてはいけない。つい打ち明けたくなるなんて、どうかしている。「わかっています、わたしのような女は、だれかの愛人にでもならないかぎり、自立と自由を手に入れることはできない。自分の家がほしいし、服や食べものだっているわ。いつか自分の人生を自分で動かせるようになると思えるようになりたい。それに、わたし――あなたが好きなんです、公爵」
 公爵はすこしあおむき、目をつぶった。「おれが好き? おれは目が見えないし、正気を失いかけているし、きみにいわせればひげもじゃのだらしない男だ。変わった趣味だな」
「だらしない男なんていってません! ただ、おひげが伸びすぎていただけです」
 公爵が笑ったので、アンの胸の鼓動はすこし落ち着いた。
「さて、天使さん、もじゃもじゃのひげがなくなって顔がさっぱりしたから、今度はきみをよろこばせるためにしたいことがある」
 公爵がまたベッドのことを考えるようになったのはよい兆候だが、さっぱりした顔でなにをしたいのか、アンにはわからなかった。わからないので、尋ねてみた。
「わからないのか?」公爵の声は、すっかりみだらな低いものに変わっていた。「わかっているはずだぞ」
「いいえ、さっぱりわからないわ」
「きみもきっと気に入る。どんな女もそうだ」彼の口もとに、まぶしい笑みが浮かんだ。「そのへんにスツールがあるだろう。ここへ持ってきて、座ってくれ。それから脚をひらくんだ」
「どうぞ」アンは準備を終えて、おずおずといった。シュミーズのなめらかな生地をウエスとまで持ちあげ、スツールに浅く腰かけた。
 アンの短いひとことを頼りに、公爵は前でひざまずいた。小首をかしげる。「もうわかっただろう」
「いいえ」
 公爵は手を伸ばし、アンの膝頭を探してしっかりとつかんだ。「これなら目が見えなくてもできる。とても上手に」断固とした輝きが、すみれ色の瞳に宿った。シャツの胸もとをはだけ、伸びて乱れた黒い髪に裸足の彼は、海賊のように見えた。いまこのときは、思いやりを捨てた男にも、なにかに取り憑かれたような男にも見えなかった。ひたむきに自分を証明しようとしている男そのものだった。
「きみをよろこばせたい」と公爵がいった瞬間、アンははっとした。
 いままで公爵と肌を重ねたとき、アンはあえいだり声をあげたりして感じているふりをし、公爵をだましたつもりだった。だましたつもりだったけれど。
 アンは一度も本物の快楽を感じたことがなかった。どういうわけか、感じることができなかった。男とベッドにいるときはなにも感じない。けれど、できるだけ感じているふりをしていた。
 公爵は、あの声や激しいもだえ方が演技だと気づいていたのだろうか? 絶頂に達したことがないので、ほんとうに達したらどうなるのか、アンは知らない。娼館の女たちに聞いたことをもとに演技をしていた。
 両脚をさらに広げられ、アンは太腿の内側が引きつれるのを感じた。両手はスツールの端をしっかりとつかみ、背筋はこわばっている。公爵がひどいことをしないのはわかっているが、こみあげる不安を押しとどめることはできなかった。
 公爵が身を乗りだし、太腿の内側にキスをした。
 くすぐったい。アンは不意を突かれた。公爵のすべすべした頬に肌をなでられ、くすぐったくてたまらない。太腿の内側を軽く噛まれ、息を呑んだ。公爵は甘く歯を立てたり舌を這わせたりしつつ、脚のつけねにある金色の繁みへと近づいていく。ほどなく、アンは驚きに悲鳴をあげた。
 いったい、なにをするの?