立ち読みコーナー
目次
440ページ
登場人物紹介

エマリーン(エマ)・マーロウ           準男爵の娘
ジェイムズ(ジェイミー)・アステア・シンクレア  シンクレア氏族の若者。事実上の統率者
ヘップバーン伯爵                 ヘップバーン氏族の長。エマの婚約者
イアン・ヘップバーン               ヘップバーン伯爵の又甥
マーロウ準男爵                  エマの父
ボン                       ジェイミーのいとこ
アンガス                     ジェイミーの手下
マルコム                     ジェイミーの手下。アンガスと双子
グレイム                     ジェイミーの手下の少年
ドケット                     ヘップバーン家の猟番
ラムジー・シンクレア               ジェイミーの祖父。シンクレア氏族の長
ムイラ                      山の老婦人。ラムジーの昔なじみ
ブリジッド                    ムイラの家のメイド
(17ページ)

エマは胸を張り、花婿のほうに向き直った。はた目には、泣くか気を失うかしそうに見えるかもしれない。でも、わたしは絶対にそんなことはしない。それほどやわにはできていない。いつもそれを誇りに思ってきた。家族の将来と資産を安泰にするため、伯爵と結婚せざるをえないのなら、わたしは結婚する。そしてこの人が富によって――そして称号によって――購いうる最高の妻、最高の伯爵夫人になるよう、努力する。
 エマは口をあけた。すっかり準備はできていた。富めるときも貧しいときも、健やかなるときも病めるときも、死がふたりを分かつまで、彼を愛し、慈しむ、と誓うのだ……。 ところがそのとき、聖堂後部の、鉄帯で補強されたオーク材の両開き扉が大きな音を立てて開き、冷気がさっと流れこんだ。同時に、十人ばかりの武装した男たちがなだれこんできた。
 驚きの悲鳴と息をのむ音が聖堂の中に満ちた。侵入した男たちは信徒席のあいだに散らばった。ひげだらけの顔に、決意を秘めた険しい表情をみなぎらせ、どんな抵抗のしるしも見のがすまいとして、拳銃を構えている。
 だがエマは、恐怖ではなく、胸に希望の灯がともるのを感じた。
 最初の悲鳴や怒号がおさまると、イアン・ヘップバーンが臆することなく中央通路へ進み出て、闖入者の不気味な銃口と大伯父のあいだに身を置いた。「いったいなんの真似だ?」きびきびした声がドーム天井に反響した。「無作法者め、ここは領主(ロード)の館だ。礼儀をわきまえろ」
「どのロードだ?」強いスコットランド訛りの男の声が応じた。深みのある朗々としたその響きに、エマは背筋がぞくぞくするのを感じた。「この山々をみずからの手でおつくりになった主(ロード)のことか。それとも、それを治める権利を持って生まれたと思いこんでいる男のことか」
 その直後、エマもその場に居合わせた人々も息をのんだ。声の主が巨大な黒い馬にまたがって、聖堂の中に入ってきたのだ。あっけにとられた参列者たちは、口々につぶやきながら、身をすくめて信徒席に腰をおろした。誰もが恐怖にとらわれつつも魅入られたように、熱っぽい視線を向けている。じつにみごとな馬だ。胸はつややかでたくましく、漆黒のたてがみは流れるように美しい。しかし奇妙なことに、エマの目は馬ではなく、その大きな背にまたがった男のほうに惹きつけられていた。
 日焼けした顔を縁取るたっぷりとした黒髪は、その冷たい緑の瞳をみごとに引き立てている。この寒いのに、身に着けているものといったら、緑と黒の毛織物のキルトと編み上げ長靴、それに茶色の革のベストだけで、広いなめらかな胸はむきだしだ。彼は鞍にまたがるために生まれてきたかのように馬を扱った。力強い肩と筋肉のついた前腕部にかすかな緊張をうかがわせただけで、手綱を操り、通路を進んでくる。イアンはよろよろと後ろに下がるしかなかった。さもなければ、あの恐ろしいひづめに踏みつぶされてしまうだろう。
 エマのそばで伯爵の押し殺した声が聞こえた。「シンクレア!」
 年老いた花婿は顔を真っ赤にし、憎しみにゆがめていた。こめかみに浮き出した紫色の血管が脈打っている。このようすでは、新婚初夜どころか、結婚式を乗り切れるかどうかもあやしくなってきた。
「だいじなときに、じゃまをして悪かったな」侵入者は後悔の念などみじんも感じさせずにそう言うと、手綱を引いた。馬は通路の中ほどで前脚を跳ねあげてとまった。「重要な式が執りおこなわれると聞いて、これはなんとしてもご挨拶に立ち寄らなければなるまいと思ったのだ。お送りいただいたはずの招待状は、配達途中でなくなってしまったらしい」
 伯爵は震えるこぶしを振りまわした。「わたしがシンクレアの者に送る招待状は、判事の逮捕状と絞首刑の執行状だけだ」
 この脅し文句を聞いても、男は当惑したように片方の眉を吊りあげただけだった。「今度おれがこの聖堂に足を踏み入れるのは、次の結婚式ではなく、きさまの葬式のときだと思っていた。だがきさまは昔から女に目のない好色家だった。ベッドをあたためてくれる新しい花嫁を買わずにいられないことくらい、予測しておくべきだった」
 と、そのとき、男は押し入ってきて以来はじめて、あざけるような目をエマのほうに向けた。ほんの一瞬だけだったのに、エマの白い頬は痛いほどに火照った。彼の言葉には、否定しがたい真実と、非難の響きがひそんでいたからだ。
 イアン・ヘップバーンがふたたび男とのあいだに割って入り、エマはほっとしたような気分になった。「いつものように、われわれをあざけり、復讐したつもりになるのはけっこうだ」彼は軽蔑に唇を曲げて言った。「だがこの山に住む者は誰もが知っている。シンクレア氏族が人殺しの盗人でしかないことをな。与太者どもを引き連れて、客人から宝石や財布を奪いにきたのなら、さっさと取りかかったらどうだ? おまえの息とわれわれの時間を無駄にすることはない」
 伯爵が驚くような力を振りしぼり、エマを突き倒さんばかりにして進み出た。「これはわたしの戦いだ。又甥の助太刀はいらん。おい、シンクレア、おまえのような生意気な若造など少しもこわくはないぞ」伯爵はうなるように言うと、骨ばったこぶしを振りあげたまま、イアンの前に出た。「やれるものならやってみろ!」
「いや、きさまをどうこうしにきたんじゃない」男は唇をゆがめてけだるげな笑みをこしらえたかと思うと、ベルトから黒い拳銃を抜き、純白のドレスを着たエマの胸のあたりに銃口を向けた。「花嫁をいただきにきたのさ」