立ち読みコーナー
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登場人物紹介

ジョゼフィーナ              第七代チェイス伯爵の私生児
マーカス・ウィンダム           第七代チェイス伯爵の甥
エラスムス・バッジャー          ジョゼフィーナの従者
ジェイムズ・ウィンダム          第七代チェイス伯爵
アントニア・ウィンダム          ジェイムズの双子の娘
ファニー・ウィンダム           ジェイムズの双子の娘
グウィネス・ウィンダム          ジェイムズの姉
パトリシア・エリオット・ウィンダム    マーカスの母
リード・ウィンダム            マーカスの亡き父。ジェイムズの弟
ウィルヘルミナ・ウィンダム        ジェイムズの亡き末弟の妻
トレヴァー・ウィンダム          ウィルヘルミナの長男
ジェイムズ・ウィンダム          ウィルヘルミナの次男。第七代チェイス伯爵と同名の甥
ウルスラ・ウィンダム           ウィルヘルミナの娘
サンプスン                〈チェイス・パーク〉の執事
クリタッカー               〈チェイス・パーク〉の秘書
スピアーズ                〈チェイス・パーク〉の従者
フレデリック・ノース・ナイティンゲール  チルトン子爵、マーカスの友人
マギー                  ジョゼフィーナのメイド
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 五年ぶりか。
 これほどの美女を、彼はこれまで目にしたことがなかった。十三歳の頃、美人になると想像した姿より遥かに美しい。派手な服装はしていないから、華美な装いのせいではない。地味な灰色の無地のモスリンのドレスは、顎のあたりまで襟が詰まり、だんだん先が細くなる袖は手首のあたりでボタンがきちんととめられている。黒髪は太い三つ編みにゆわえられ、頭の上でまとめられている。宝飾品は身につけていない。頬にはインクのしみがついている。彼女は指先ひとつ動かさずに立ち、ただじっとこちらを見つめている。そういえば、彼女はいつもこんな静けさを漂わせていた。少女には似つかわしくない、超然とした雰囲気を。
 こんなに美しくなるなんて、ありえない。マーカスは口をひらいた。「ずいぶんたくさん新聞があるな。これでなにをしている?」
「ご無沙汰しております、マーカス」
「ああ、妃殿下。久しぶりだな」
 彼女がうなずいた。「バッジャーから聞きましたわ。父が急死したせいで、どなたもお見えになれなかったとか。でも、妙な話ですわね。生きていようが死んでいようが、わたしなど父から忘れられた存在なのに」
「きみのことをすっかり忘れていたと三カ月まえに告白したとき、クリタッカーのやつ、窒息しそうになっていたよ。こんなことになり、すまなかった。それで遅ればせながら、きみに〈チェイス・パーク〉に戻ってもらおうと迎えにきたというわけさ」
 彼女は顔をしかめたまま、あいかわらず微動だにしなかった。握手のために手を差しだそうともしなければ、頬にキスをしようともしない。こちらと六フィートは距離を置き、眉間にいっそう皴を寄せている。
 そのとき、合点がいった。おれは彼女に大きなショックを与えたのだ。最初は母親、こんどは父親が不慮の死を遂げたのだから。それも、ほんの数週のあいだに。
「お父上のことは、お悔やみ申しあげる。お父上のことは、ぼくも大好きだった。即死だったそうだから、苦しむことはなかったはずだ」
「ありがとうございます。母が亡くなったあと、父はもうわたしのことなどお忘れになっていたのだと思っていました」
「だが、お父上はきみに〈チェイス・パーク〉に戻ってきてほしいと思っていた。まさか、自分に悲運が待ち受けていようとは思いもよらなかったことだろう」
 バッジャーが戸口に姿を見せた。「子鴨がいい具合に焼きあがりました、妃殿下。付け合わせは、ポテトと新鮮なインゲン。ポテトには新鮮なパセリも散らしましたよ。お好きなリンゴのタルトもつくりました。そろそろ夕食になさいますか? 閣下にも同席していただきましょうか」
 心ここにあらずといったようすで、彼女がうなずいた。
「空腹でいらっしゃいますか、サー?」
「ああ。きょうは朝からずっと厳しい道のりだった。だれか、ぼくの種馬の世話をしてくれるかな?」
「自分の馬は自分で世話をなさらないと」と、妃殿下が言った。「バッジャーにはそんな暇、ありませんから」
「わかったよ」マーカスは背を向け、狭い居間からでていった。
 バッジャーが背後から声をかけた。「家の裏手に小屋があります。そこに馬をつなぐといいでしょう」
 マーカスはそれ以上、なにも言わなかった。スタンリーの世話ぐらい苦もなくこなせる。だが、慣れることができず、また受けいれがたいのは、妃殿下が紳士のように上品な言葉づかいをする男と一緒に暮らしているという事実だった。おまけにその男はシェフでもあり、鴨のローストにポテトとパセリを添えるだけの腕があるという事実だった。たしかにバッジャーはふしくれだったオークの木のような醜男だし、彼女の父親といってもおかしくない初老の男だが、それでも、こんなことは正しくない。いったい、どうなってるんだ?
 彼女は餓死寸前には見えなかった。到着したとき、鼻歌が聞こえたし、左の頬にはインクのしみをつけていた。そしてこのうえなく美しく、おれはいつまでもあそこに立ったまま、彼女に見とれていたかった。夕食の支度ができましたと、バッジャーが邪魔するまでは。おれの知るかぎり、おじの遺書に彼女に関する条項はない。だから、この四カ月、おれは不安で仕方なかった。彼女は無一文のはずだからだ。
 なのに、いったい、どうなってるんだ?