立ち読みコーナー
目次
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登場人物紹介

ビリー・キャラハン        女優
デイヴィッド・ブラッドフォード  アレックス夫妻の友人
アレックス・ベン=ラーシド    セディカーンの首長
サブリナ             アレックスの妻
カリム・ベン=ラーシド      セディカーンの元首長。アレックスの祖父
クランシー・ドナヒュー      セディカーン保安部隊の最高責任者
ヤスミン・ダバラ         カリムの館の家政婦
ユセフ・イブラヒム        ビリーの友人
シャリーン・ナザレ        王宮に仕える側女(カディン)
アルフィー・ラドラム       売春・麻薬密売組織の中心人物
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 まるでアラビアのロレンスみたい。ビリー・キャラハンは驚きに打たれて思った。なんて素敵な砂漠のプリンスなの! 顔にかかる赤銅色の髪をじれったそうに払い、ビリーは黒いアラブ種の雄馬に乗って砂丘をこちらへ駆けてくる男性をまじまじと見つめた。またしても風になぶられた髪が頬を打つ。小高い丘の頂で、彼女は刻々と勢いを増す風に吹きさらされていた。髪ばかりかシャツやズボンも、獲物を追いつめて貪ろうとする飢えた獣のような強風にもみくちゃにされている。
 少し離れた道でジープが故障したときは、丘に登ってザランダンまで歩いてどれぐらいの距離がありそうか見てみるのは悪くない考えに思えた。でもいまは、あまりいい考えではなかったという気がしている。ぽつんとそびえる丘のてっぺんにいるとひどく無防備な気がして、あたりの景色に不安がつのるばかりだ。金色の砂漠がにわかにかげりつつある空の果てまでずっと見わたすかぎり広がっている。稲妻が閃き、地平線にそびえる崖を照らしだしたが、それはあまりにも遠くに思えた。あの崖の向こうに安全なザランダンの街がある、とユセフは教えてくれたが、嵐になる前にたどり着くのはとうていむりだ。風が砂を巻き上げて荒々しく不気味な模様をこしらえ、砂丘の頂が旋舞する修行僧のようにくるくると移動していく。
 ジープに戻ったほうがよさそうだ。せめてもの風よけにはなるだろう。ビリーは最後にもう一度だけ黒いアラブ種の乗り手を見やると、背を向けて丘を下りはじめた。最初に地平線のかなたから彼のかすむ人影が現われたとき、ビリーは自分の苦境も思わず忘れて空想をかきたてられた。
アラブの人たちがよく着るフードつきの白いマントが、雄馬のつややかな黒い毛並みによく映え、彼はとても優美で力強く見えた。四〇年代の古い映画に出てくる砂漠のプリンスみたい、とビリーはうっとり考えた。あとは剣を持って、鞍の前にハーレムの娘を乗せていれば完璧ね。崖の方角から来たということはザランダンの住人なのだろう。けれども彼は街の人間というより、砂漠の山賊かアラブの首長〔ルビ シーク〕のように見える。だから髪や目の色がわかるほど近くまで来たときはとても驚いた。彼の髪は想像していたような漆黒ではなく、陽に灼けた濃い金色だった。セディカーンに来て数カ月になるが、この中東の国でブロンドの現地人を見たのは初めてだ。けれど風にひらめく白いマントや手綱さばきを見るかぎり、現地の人間に違いない。
ともかく彼が何者であれ、助けは期待できないわ、とビリーは肩をすくめて思った。どのみち、こっちへは来ないかもしれないし。きっと彼は道をそれて、うねる砂丘を越えて五〇キロほどのところにあるユセフの住む村へ向かうだろう。もしわたしのほうへ来るのだとしても、助けより脅威となりそうだ。だめ、頼れるのは自分しかいないわ。いまさらなによ、ずっとそうしてきたじゃない。現実にも精神的にもたくさんの嵐を乗り越えてきたんだから、今度だって切り抜けてみせるわ。
 ビリーは丘を下りきると、苦労して歩きつづけた。強風が彼女を、意のままに操れる砂漠の砂の一粒のようにさらっていこうとする。砂粒が痛いほど頬に吹きつけ、ビリーは逆巻く砂塵のなかで鋭い粒が入らないようにきつく目を閉じた。
「こんな砂漠のまんなかでいったいなにをしているんだい?」男っぽいかすれた声がして、ビリーが目を開けると、すぐそばで砂漠のプリンスがしなやかに鞍から降り立つところだった。風のうなりがあまりに激しくて、蹄の音が聞こえなかった。彼はアラブ人ではない……そして間違いなくアラビアのロレンスでもない。あの間延びした話し方はオックスフォード訛りというよりテキサス訛りに聞こえる。
「なにしてるように見える?」ビリーは風に負けないよう声をはりあげ、不機嫌にきき返した。「砂嵐がお肌に最高にいいって聞いて、車ではるばる試しにきたの」声が神経質に震えていることに気づき、ますますいらだつ。「じゃなくて生きのびようとしてるのよ、まったくもう!」
 荒々しい風がビリーの顔をなぶると同時に、彼の額にかかる金色の髪を吹きはらった。
「あんまりうまくやれているとは言えないな」男性は近づいてきながら厳しい声で言った。「あと数分もしたら本格的な嵐になるっていうのに、きみときたらガーデン・パーティーに来たみたいにふらふら歩きまわってるんだから」彼はビリーの肘をつかんだ。「おいで、避難できる場所へ行かないと」