立ち読みコーナー
目次
608ページ
登場人物紹介
エレノア(エリー)・ストラットン        通信会社重役
ライリー・ラング                ローレス家の次男。弁護士
アンドルー(ドルー)・ローレス         ローレス家の長男。IT企業経営者
ブランドン(ブラン)・ラング          ローレス家の三男
ミア・タガート                 ローレス家の末っ子。事件記者
ケイス・タガート                ミアの夫。警備コンサルタント
イアン・タガート                ケイスの兄。軍事・諜報世界の伝説的人物
ベネディクト・ローレス             ライリーの父親。故人
フィリップ・ストラットン            エリーの父親。故人
リリー・ギャロ                 エリーの親友。秘書
シャリ・ストラットン              エリーの異母妹。ファッションモデル
コリン                     エリーの元夫。シャリの恋人
スティーヴン・カスタラーノ           エリーのビジネスパートナー。通信会社のCEO
ビル・ハチャード(ハッチ)           ベネディクトの親友
フィービー・マードック             〈マッケイ‐タガート〉の会計士
パトリシア・ケイン               ライフスタイル専門家
32ページ~
 魅力的で、それでいて威圧的でもある助手はライリーの向こう隣を歩いていた。上背は百九十センチをゆうに超えるにちがいない。薄茶色の髪とは対照的にサファイアブルーの目をしている。どこかのアメフトチームでラインバッカーとして試合に出ているような目立つタイプの男性だが、エリーの心を惹きつけたのはライリーの細い体型と甘いマスクだった。甘いといってもヤワではない。隣にライオンが控えているせいで柔和に見えるだけだ。あの助手はいまにも人を殺しかねない顔つきをしているのだから。
「ありがとう」エリーはうまくことばが出てこなかった。まるで幼児並みね。それだけどぎまぎさせられているわけだが、それでいいのかよくわからない。とりあえず考えないことにした。この人は弁護士で、自分には弁護士が必要だ。双方とも同じ弁護士に依頼すればいいのではないかと主張したが、スティーヴンに却下されてしまったのだ。彼の説明によれば、友好的買収といえども注意を要する案件だから、円滑にことを進めるために法的助言が必要だという。「父とスティーヴンがこの物件を購入したのは、十七年ほどまえに〈ストラトキャスト〉を設立したときだったの。これからご案内する、わたしのオフィスからも同じ景色が見えるわ」
 ライリー・ラングが評判どおりに有能なら、〈ストラトキャスト〉は数週間のうちにエリーのものになる。
 ライリーはほかになにが得意なのかしら。ベッドで愛することだろうか。エリーの頭にはセックスが思い浮かんだ。胸をときめかせただけでリリーに大喜びされるわ。コリンと離婚してから、エリーは性欲そのものを凍結させていた。出会いもそれほど多くはなかった。恋愛に醒めきったエリーの心を溶かしてくれそうだと見こんだ男性をリリーは何度も引き合わせようとしたが、エリーは仕事を盾に取っていた。
 そして、いまもそうするつもりだった。リリーに紹介された警察官や銀行員や、はたまた無料の食事目当てで会おうとしたとしか思えないあのライターをうまくあしらえないなら、ギリシャ神のようなライリー・ラングを夢に描くことさえ考えもしない。想像をたくましくすれば、すてきな姿が思い浮かぶだろう。空想のなかで、ライリーは正義の神になり、法と真実をはかりにかけている。トーガ一枚を腰にまとい、その下に隠された部分があらわになりそう……。
「オフィスに向かうはずでは?」助手の低い声が聞こえ、エリーは夢想から引き戻された。そう、この人の名前はなんだったかしら。スケジュール帳で確認していたのに、どうしても思いだせなかった。
 エリーは足を止めた。しまった、自分のオフィスを通りすぎていた。恥ずかしさで頬が赤くなるのがわかった。まるでボーイズバンドのコンサートに来た十代の少女じみた行動だった。燃えるような高揚感しか共通点はないが。いかにも仕事ができる女に見えることを願って、とびきりの笑みをふたりに向けた。「やっぱり会議室でミーティングしたほうがいいんじゃないかと思ったの。すぐそこだから」
 どういうことかちゃんとわかっている、といわんばかりの目をライリーは向けてきた。じつに官能的な口もとを引き上げてほほ笑んでいる。「選べるなら、あなたのオフィスのほうがいい」
 人間の姿を借りたライオンのようなセクシーな助手がうなずいた。「そのとおり。今後の段取りを説明したいので、くつろげる環境で話を聞いてもらうのがいちばんだ」
 くつろげる環境ですって? おそらくこぢんまりした場所という意味なのだろうが、エリーの頭に浮かんだのは寝室だった。それも自分の寝室を思い浮かべていた。
 エリーはその邪念を振り払った。セックスのことばかり考えたりしないのに。普段ならば。そうよ、一年くらい誰とも寝なくてもどうってことないわ。自分のオフィスへと廊下を戻り、ドアをあけると、手ぶりでふたりに入室を勧めた。
「いい部屋だ」ライリーはそうつぶやきながら、エリーの横をすり抜けた。
 ライリーはにおいもよかった。サンダルウッドの香り。アフターシェーブ・ローションの香料にちがいない。それがなんの香りであれ、エリーの体は反応していた。まったく、リリーのせいで困ったわ。このワンピースは見栄えがすると太鼓判を押してくれたのはいいけれど、生地がとても薄くて、乳首が浮き出てしまうとは聞いていなかった。「それはどうも。父が引退まで使っていたオフィスなの。ほとんど模様替えはしていないわ。時間がなくて」
 それはほんとうの理由ではなかった。父のオフィスは内装が男性向けの設えで、それは会社全体の縮図でもある。幹部社員も、取締役会も五十代以上の男性で占められているからだ。エリーとしてはガラスの天井を破り、女性幹部を増やすまでは、男性たちに足並みをそろえるに越したことはない。〈ストラトキャスト〉の過半数の株式を取得したら、状況は好転する。二十一世紀にふさわしい企業へと変革を進めるつもりだ。必要なら、波風を立ててでも。
 エリーはセーターを手に取って肩に掛け、吹雪にさらされて乳首がとがったように見える胸もとを隠した。
 あいにく胸の先端がやけに反応しているのは寒さのせいではなく、興奮しているせいだとはっきりと自覚はしていた。
「どうぞお掛けになって。空調の温度を上げるわね。ここは冷えるから」
 ライリーも“ライオン”も立ったまま、エリーの様子を見ていた。
「むしろ温かい気がするけどな」エリーが設定温度を上げていると、ライリーはつぶやいた。「どうだい、アンディ?」
 アンディ。そう呼ばれているのね。ライオンのような風貌とはうらはらに、五十年代のような響きがする。のどかに聞こえる呼び名なら、凄みのある見た目の印象をやわらげられると思ったのかもしれない。