立ち読みコーナー
目次
304ページ
はじめに                    003
第一章 熱田神宮と草薙剣            011
第二章 石上神宮と神剣フツノミタマ       053
第三章 石上神宮の〈十種の神宝〉と
    出石神社の〈アメノヒボコの神宝〉
    107
第四章 出雲大社とミスマルの玉         147
第五章 日前神宮・国懸神宮の日像鏡と日矛    199
第六章 アマテル神社の神鏡           241
第七章 善光寺の秘仏、阿弥陀三尊像       269
あとがき                    298
引用文献・主要参考文献一覧           300

 草薙剣はかつて正殿ではなく土用殿に祀られていた

 愛知県名古屋の名社・熱田神宮(名古屋市熱田区神宮)は「三種の神器」のひとつ、草薙剣を祀っていることで古来有名である。

 広大な社叢に囲まれた本宮の社殿は、棟持柱をもつ素木造りで、伊勢神宮の正殿にならったいわゆる神明造りである。草薙剣はこの社殿の奥に、決して人目に触れることなく、安置されている。

 現在、熱田神宮では、祭神を熱田大神とし、熱田大神とは「草薙剣を御霊代とする天照大神のこと」と説明している。わかりにくい表現だが、至高の霊剣である草薙剣をアマテラス(天照大神、天照大御神)の神霊の依り代として祀り、その草薙剣に宿るアマテラスの神霊をとくに「熱田大神」と尊称する、ということであろう。そして、相殿神として、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀っている。最後の二神は一般にはなじみが薄いが、いずれも熱田土着の豪族・尾張氏の遠祖とされる神話的人物である。

 熱田神宮に参詣したら、本宮だけでなく、その東側にある小さな社もぜひ詣でてほしい。その社は「土用殿」という。そこは、何が祀られている社なのか。土用殿のわきに建つ木札にはこう説明書きがあるはずだ。

 神剣が明治の御社殿改造まで奉安されていた御殿である。

 じつは、明治以前の熱田神宮は、今とはだいぶおもむきが違っていた。
 神宮号が天皇によって宣下されて「熱田神宮」が正式名称となったのは明治元年(一八六八)のことで、それ以前は、熱田神社、熱田社などと呼ばれていた。


 明治なかばまでは社殿は神明造りではなく、長らく「尾張造り」と呼ばれるものであった。尾張造りとは、簡単に言えば、本殿を廻廊が囲む独特の様式である。
 しかも、その本殿にあたる部分は、西の正殿(「大宮」とも呼ばれた)と東の土用殿(渡用殿とも呼ばれた)に分かれており、正殿には五座の神が祀られ、土用殿には前述したように草薙剣が奉斎されていたのだ。土用殿がいつからあったかは定かではないが、室町時代の境内図には、正殿と土用殿がならび建つ姿が描かれている。

 つまり、現在の熱田神宮では草薙剣は主祭神のような扱いを受けているが、かつて草薙剣は、正殿に祀られる神々と並列的な扱いで祀られていたのである。
 しかも、明治より以前の正殿の祭神については、現在の相殿神と同じく「天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命」の五神とする史料もあるが、日本武尊を主祭神とし、さらにアマテラスを欠いてその代わりに奇稲田姫(スサノオの妃神)を入れるものもあり(『神名帳考証』『熱田神社問答雑録』)、五座の内訳はじつは一定していない。

 このような事実は、熱田神宮で奉斎されてきた「草薙剣」が、古来、必ずしも一貫して「アマテラスの御霊代」であったわけではなかったこと―すなわち草薙剣と祭神の関係について混乱があったことを物語っている。そしてそのことは、「草薙剣」の来歴をめぐって、多くの謎を喚起させることにもつながっているのだ。

 ちなみに、社殿が神明造りに改造されたのは、明治二十六年(一八九三)のことである。天皇の神格化が強まるなかで、皇室の「三種の神器」の神威をいやがうえにも高めるべく、熱田神宮を八咫鏡を御神体とする伊勢神宮と同格とする必要性に駆られ、社殿の大改築と神剣の主殿への遷座が実施されたのだろう。